幸せ探し

なかなか梅雨が明けません。
この時期の雨は続くと鬱陶しいです。
水分が体にまとわりつくような不快な感じ、気温が高いとなおさらです。

でも雨は好きです。
雨が降る前のにおいや、低い位置にある黒い雲も、降り始めの道路が濡れていって少しずつ色が変わっていくのを見るのも好きだし、水たまりをジャンプで避けながら子供と散歩するのも楽しいです。

日々の些細なことの中に、たくさん「好き」はあります。
この世に生まれてから今までで、私の好きなものたちははどのくらいたまったんだろ。
自分が心地よく感じる物や出来事は、年を重ねるごとにちゃんと増えているんだろうか、もしかしたら減ってるのかもしれない。
そうかもしれない。

7才になる長女と40才オーバーの私を比べるとよく分かります。
子供が見ている世界はキラキラしていて、好きなものたちが溢れているように思います。
先日、500円玉くらいに丸く切った緑色のセロファン紙を自慢げに見せてくれました。
学校でお友達に貰ったそうです。
何?ごみ?
ってなもんです。
そのセロファン紙を目に当てて、そこから見る世界を楽しんでました。
それが終わると、次女の頭にのせて「見て見て!かっぱー!!」
‥‥‥。
すごい!
子供ってすごいなー!
私にとってはゴミでも、彼女にとっては遊び方が無限のおもちゃなんですよね。
子供は好きなことを生み出す天才だ、と感心してしまいました。
そして、年をとって鈍感になっていることに気づきました。

本来なら年と共に好きな物は増えるはずなのに、気づかない、足を止めずに通り過ぎて、日々の忙しさに流されています。
このコロナ渦ではなおさらです。
心に余裕がないので、無意識に自分の中に取り込む情報に順位をつけて、その日によって違うキャパシティに合わせています。

子供といると、そのことに気づかされました。
必要ないものを見ないようにするのではなく、自分の好きな物を敏感に察知して、少しでもそれに触れて心のエネルギーにしたいです。




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