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The Eyes of the Prayer
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世田谷美術館で現在開催中の
「祈り・藤原新也展」へ。
"ニンゲンは犬に食われるほど自由だ"
ガンジス川のほとり、
犬に食われている人間の死体の写真。
そこに添えられた一文。
藤原新也は眼前の風景を写し、言葉を紡ぐ。
彼の地では、死体は川を当たり前に流れていくのだそうだ。
そして、
"生きとし生けるものが墓を持たぬのと同様、この地では人も墓を持たない"
ヒンドゥー教徒の殆どは墓を持つことはなく、
遺灰をガンジスに流している。
そもそも墓とは何であるか。
我が国では、
服を畳まない収納が台頭してきたと聞く。
それは暮らしをシンプルにして最適化する事に人々の考えがシフトしてきたからかもしれない。
同様に墓に入る事を拒否する選択もカジュアルに増えていくのかもしれない。
遺された家族にとっても、選択肢は本来もっとシンプルで良いとさえ思う。
本回顧展、
私はもう一枚、月明かりが柔らかに照らし出す被災地の瓦礫の写真に目を留めた。
遠ざけようとしても「死」は常に寄り添うように存在し、まして覆い隠す事も出来ない。
「死」は常に隣り合わせにあるものと知るのだ。
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