「人の心の中で生き続ける」ということ

最近になって、24年少し生きてきた中で、初めて分かってきた気がする。それが、「心の中で生き続ける」と言うことだ。無論言葉としては知ってはいた。そして字面での意味くらいは分かっているつもりでもあった。今日になって、それが質量を持ったかのような、実体として感じられるのだ。 

私の母はもう長くはない。文字通り命懸けで私を産んで、全力で守り、そして愛してくれた。それを確かな実感として私の中に残して。家族を愛し、愛する人の為に生きることを幸せと思える。母の生き様を通して、私はそれを学んだ。

ところで私は、きっとその気質としては、非常に内気で臆病者のそれだ。自分本位で卑怯で人の気持ちが分からぬ、自分だけが幸せならそれでいいという少々寂しい人間なのだと思う。それでも、私のそばにいてくれる人々がいる。ましてや私の性格を指して優しいなどと形容してくれる人がいる。恩師から送られた言葉に至っては、「その優しさを強さに」だ。

なればきっと、私のそばにいてくれる人は、私の母に会っているのだ。私の中に「優しさ」と呼べるものがあるとしたら、その大方は母から受け継いだそれだろう。あるいはその中に、祖母の面影をも感じられる気がしている。私を優しいなどと言う貴方の眼には、私の母が映っている。

祖母はすでにこの世を去り、そして母も続こうと、その想いは確かに私の中にあり、そして人々に影響を与えていく。必ず来る私の日にも、私の想いは誰かの中に残り続け、そして人々に触れ続けていくのだと信じて逝ける。そう生きていきたいと思う。さて。

優しさや寛容さ、あるいは頑固さや不器用さ。貴方の目には、私はどう映っているだろうか?貴方の中に、欠片のようでも私は生きているだろうか。私の中には長い時間の中で、広い社会の中で、多くの人が生き、生かされている。


良い夢を

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