電通大の一年次の類分け制度への怨嗟

 皆さん!「後悔」していますか?

 私はしています。今も在学中の我が大学。国立電気通信大学へ進学したことに対してです。いや、少し話を大きくしすぎました。誤解しないでいただきたいのは電通大の友人、先輩後輩、先生方、その他諸々に対しての印象は非常によく、これからも大切にしていきたいと思っています。では何をそこまで恨んでいるか、それはそう「類分け制度」に対してです。

 類分け制度がどれだけ愚かで、どれだけ電通大生の希望を打ち砕いたかについて書く前に言っておかなければならないのが、この制度は去年(一昨年?)無くなっています。
 つまり、この先つらつらと書かれることは過去の亡霊が成仏できずにぶつくさと怨念を垂れ流しているに過ぎません。この先を読んでもあなたの人生には何ら関係がなく、無益な怪文書であるのでぜひともブラウザバックしていただきたい。それでも読もうと思って頂けたならばぜひとも最後までお付き合いください。

電通大のカリキュラムと入学制度

 では、憎き類分け制度とはどのようなものだったのか、電通大のカリキュラムと入学制度から解説していこう。
 まず、電通大には3つの類がある。Ⅰ類は情報系。Ⅱ類は融合系。Ⅲ類は理工系を学ぶ。画像のように学年が上がっていくごとに専攻を絞っていくようなカリキュラムだ。(実際と違うのは類共通科目は1年の後半からある)

 次に電通大には主に2つの入学制度があった(推薦、夜間や編入はよく知らないので省く)。前期試験を通過して入学したか、後期試験を通過して入学したか、である。
 前期入学の人は入学時は類に振り分けられておらず、1年次の半分が終わった段階で進路希望を出し、類が決まるのだ。これが「類分け」である。
 後期入学の人はあらかじめ類に振り分けられて入学してくるので1年次での進路振り分けは無い。2年次以降は全員がプログラム分けをするため入学制度での差はない。
 ※現在は全員が入学時点で類が決まっており一年次での振り分けはなくなった。たしか。

 こういった入学後に学ぶ内容が「選べる」のは好意的に捉えられることが多い。かくいう私も受験の時点ではそう捉えていた。しかし、この学校は全員が「選べる」訳ではない。Ⅰ類を志望したが成績が足りず、Ⅲ類に配属されたことで、私の地獄は始まったのである。

地獄ポイントその1:最初からおめーの席ねぇから?

 まず類分けは1年前期の成績によって振り分けられる。これは何ら普通のことではある。いつだって選べるのは成績優秀者であり、その最たる受験を抜けてこの大学に来ているので、そこに文句を言うのはお門違いである。
 だが問題なのはその割合だ。ここで2019年の類分け希望調査と配属結果を見てみよう。(自分は2018年度だったが割合は毎年ほぼ同じでデータが詳細だったので2019年度にした)

(大学公式ではない個人サイトからですが情報は合ってるはず)

 え、Ⅲ類志望少なくない?

 Ⅰ類が約50%、Ⅱ類が約45%、Ⅲ類が約5%となっている。希望した類に行けなかった人数は92人で全体の約25%である。
 希望落ちの割合が多いか少ないかは議論の余地があるが、私には多いと感じた。入学して半年でこの偏りになっている原因は何もⅢ類が悪いから、というわけではないはずだ。留年率が高いという情報はあったが、その程度でⅢ類志望者がⅠ、Ⅱ類に流れるならそもそも入学していないだろう。
 では考えられるのは、入学時点でⅠ、Ⅱ類志望の割合が多かったことである。そもそも電通大は情報系の大学として名が通っている。私もその認識で情報学を学びたくて入学した。そして世はITブームである(あった?)。入学前のデータは大学が公表してないので確証は無いが、多少の増減はあれど間違ってはいないだろう。ならば約25%の人は希望外の類に振り分けられるために入学して来たようなものである。入試の時点でも類希望を聞いてきたにも関わらずだ。私みたいなギリギリで入試を突破した奴の希望は無視されることがほぼ決まっていたようなものではないか。

 入学前に類分けを「選べる」と解釈した自分が間違っていたのか。結果的には間違っていたんだろうが、この希望者が偏っているにもかかわらず調整のできないシステムがクソなことは明らかだろう。バランス悪すぎだろ。カス。

地獄ポイントその2:落ちる落ちる

 ではⅠ~Ⅲ類でどの程度学ぶ内容が違うのか。次に問題になってくるのはそこである。私の感覚的にはⅠ類(情報系)とⅢ類(理工系)では文学部と経済学部くらい違う(この例えは適当ですが)。プログラミングやらネットワークやらを学びたくて入ったら電磁気学やら力学やらを学ぶことになっている。本当に意味が分からない。数学や物理の学力で劣っていることでⅢ類に配属されたにも拘らず、Ⅲ類ではその数学や物理の延長線上にある内容を学ぶ。本当に意味が分からない。その状況にも、その内容にも本当に意味が分からない。
 落ちこぼれは落ちこぼれた先でも落ちこぼれになるのだ。落ちて落ちて止まらんのだ。Ⅲ類の留年率が高いのはこのためでもあるだろう。
 (注意してほしいのは決してⅢ類が悪いわけではないことである。理工学を学びたくて入ったならとてもいい環境だし、先生方には今現在自分も大変お世話になっている。こんなにモチベの低い人に授業に来られて、先生方からしたらいい迷惑である。本当に申し訳ない。ミスマッチがお互いを不幸にするのだ。)

地獄ポイントその3:捨てるには惜しいネームバリュー

 だが今更時間を巻き戻すことはできない。当時の私は錯乱しながらも電通大にしがみつくことにした。反骨精神も少しはあったかもしれない。一浪していて遅れている自覚もあった。そして卒業さえすれば就職には強い(らしい)ことが電通大の憎いところであった。
 そう、ネームバリューだ。電通大を目指した半分はそれだ。

 「将来」と「今」を天秤にかけられるわけだ。またか。受験やらなんやらで今までさんざん聞いてきた「将来のために」が顔を出す。大学では一致すると思っていた「将来」と「今」が、「やりたいこと」と「やるべきこと」が分かれてしまう。これがきつい。結局自分の「将来」には勝てず電通大卒の肩書が欲しくて物理と数学をやるのだった。 

地獄ポイントその4:羨ましい

 羨ましい。とにかく羨ましい。上で色々書いたが結局はこれだ。コンプレックスが爆誕である。これが私にとっては一番の問題だった。
 後期入試で入った自分より成績の悪いⅠ類のやつが憎い。入学して気を抜いた自分が憎い。ひたすら呪文を詠唱してる先生が憎い。同じⅢ類落ちでも順調に単位をとれる同期が憎い。大学生活が楽しくない。カス。

 すべては自分が良い成績をとれなかったから、なんだろう。それは確かに正論で、受験と同じだと言われればその通りだ。しかし、この納得感の無さをどうしようか。感情の問題である。自分は入試を突破し学ぶ権利、選ぶ権利を得たと思った。勝ったと思った。だが蓋を開けてみればそこでは新たな競争が始まっていて、その半年間で勝てなかったから私は情報学を学べないらしい。少しは休ませてほしい。大事な競争をするには受験後の半年は私にはきつすぎた。
 これまでの勉強してきた時間は何だったのか。大学に入るまでにそれなりに頑張ってきた意味が分からなくなった。こんなことなら都市大の情報行ってたほうが良かった。隣の芝生は何とやら、かもしれないけど焼野原よりはマシである。

おわりに

 ……とまぁ色々書きましたがなんとか自分は大学はやめずに粘れていて、卒業も来年頑張ればできそうなのでまだいい方である(休学を挟みましたが)。サークルは楽しかったし。まだ恵まれている方である。毎年90人近く出る希望落ちの中には退学して人生が狂った人もいただろう(早々に別の道に進んだ方が良かった説もある)。
 他の大学にもこういった制度の所はあるのだろうか。こんな大雑把な分岐はそうそうないと思いたいが。たまたまこのクソゴミカス制度のある大学にクソゴミカスなタイミングで入ってしまっただけだろうか。希望通りにならないからと泣き喚くクソゴミカスな私にはお似合いだったのでしょうかね。
 この制度を作って放置してた大学の上の方の人はぜひとも反省して貰いたい。もし競争させれば質が上がるとか思ってたら死んでもらいたい。良かれと思ってなら申し訳なく思うくらいはして欲しい。(まぁ、一度変えたら戻せないとか、新しいの考えるのも年単位でかかるんだろうけどさ……どうにかなんなかったのかよって思ってしまうわけですよ)

 はい。ここまで読んでくれた方ありがとうございました。私の怨嗟を吐き出す儀式にお付き合いいただき感謝の極みです。こうやって形に残すことで感情を整理でき、黒歴史が一つ増えるのでした。いつか恥ずかしくなったら消えますのでご了承。

 ではでは、またどこかで~~~~~

 

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