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「hikariwomatou 光をまとう」 名古屋展 トークイベント 前編 

テキスタイルとしてのアート 光をまとうという表現
matohu × 志村昌司 × 正木なお

日程:2023年6月17日(土)13:30〜14:30
会場:Gallery NAO MASAKI
話し手:堀畑 裕之・ 関口 真希子(matohu デザイナー)/志村 昌司(アトリエシムラ代表)/正木 なお(Gallery NAO MASAKI)

「hikariwomtou 光をまとう」展示会中、会場にてトークイベントを開催しました。
今回のトークイベントでは、matohuデザイナーの堀畑裕之、関口真希子、アトリエシムラ代表の志村昌司、ギャラリスト/アートディレクターの正木なおが、「hikariwomatou 光をまとう」ブランド設立の経緯やコンセプトについて語り合います。

*こちらは前編の記事です。
後編の記事はこちら


新たな道を探して 
— 個々の技術と感性の交差、そして協同

正木
Gallery NAO MASAKIの代表の正木なおと申します。このたびはお越しくださりありがとうございます。今日は服飾ブランドmatohuさんの堀畑さんと関口さん、そして京都のアトリエシムラさんにご登壇いただいています。アトリエシムラさんは、人間国宝染織家志村ふくみさんのお孫さんである志村昌司さんによる染織ブランドで、学校の運営を含め志村ふくみさんの思想をベースにしたお仕事をなさっています。hikariwomatouという新しく発足したブランドの2回目の展示が、こちらのアートギャラリーで開催になった経緯や、このブランドが立ち上がった話を今日はみなさんとできたらいいなと思っています。

堀畑
よろしくお願いいたします。服飾ブランドmatohuの堀畑と申します。名古屋には年に2回、4月と10月に春夏と秋冬の展示会で来ております。

関口
matohuの関口と申します。よろしくお願いいたします。

堀畑
僕たちは正木なおさんとすごく古いお付き合いで、ブランドをスタートしたとき頃からかな。18年前。

正木
そうなんです。matohuさんは日本の伝統的な美意識をテーマに、技法や概念を取り入れておられるすばらしいブランドで。そんなmatohuさんとアトリエシムラさんが、ご一緒に新しいブランドを立ち上げられることを3年ほど前にお聞きしました。

堀畑
まずは志村昌司さんがされているブランド、アトリエシムラさんから何かmatohuと一緒にできないかとお話をいただきました。せっかく良い生地を作っても、着物という限定された形では多くの人に伝えづらいことがあるとおっしゃっていて。そこで僕たちは、ただ単にアトリエシムラさんからの着物地で服を作ることではなく、もっと物作りの思想といった根本的なところを共有し、同時に現代の生活に合ったデザインをし、風合いも工夫して、その上で着物地で洋服地でもない新しい生地を作る。そういうところからやっていきましょうとお話をさせていただきました。
ただ、それではファッションと工芸の融合だけになってしまうので、僕たちはここにもう一つの要素が必要ではないかと考えました。それがアート。同時代的なアートという切り口でこのブランドが広がっていく可能性もあるのではないかと思い、昔からの友人の正木なおさんにぜひ何らかの形で一緒に巻き込まれてくださいませんかと話を振ったんですよね。

正木
そうでしたね。とにかく私は実際に何かを感じないとだめなタイプなので、私に何ができるかわからないけれど、一度京都の嵯峨野にあるアトリエシムラさんの工房に伺うことにしました。

志村
正木さんに来ていただいたのは、都機工房(つきこうぼう)という祖母と母の工房です。祖母の代からずっと染織を続けていまして、もう60年ほど経つ工房なんです。そこには染め場があって、さまざまな草木で絹糸を染めています。染めた色糸を棚に絵の具のパレットのようにして置くのですけれど、それを正木さんにご覧いただきました。

正木
機織りがずらりとあり、そこに染め上げた糸が並んでいました。入った瞬間に空気が違って、もう本当に柔らかい色の光が満ちあふれているというか、形容しがたい震えるような感動をしたんです。そこから一気にテンションが上りまして、これがもし服地になって服として存在するのであれば、ものすごいことなんじゃないかと。今日はその感動を辿っていきながら、服作りに関して話をしていただきます。そして私の工房での光の体験を、この展示会のなかで皆さんにもしていただければと思います。
こちらの《光の經》というインスタレーション作品 *1は、光を臨む「光臨」という堀畑さんが名付けてくださった、美しいタイトルの生地を作り上げるための糸でできています。

《光の經》

志村
そうですね。銀座の資生堂ギャラリーや、京都国立近代美術館などで展示をさせていただきました。私たちが機で普段織っている経糸(たていと)の状態を作品化したものです。私たちが使う機には経糸を1200本ほど掛け、そこに緯糸(よこいと)を織り入れていきます。経糸は一度張ると変えられないものなので、ある種「運命」みたいなものだと、祖母はよく言っています。運命としての経糸が目の前に張られていて、織り手さんはそこに日々の気持ちを象徴する緯糸を織り込むことによって、一枚の裂になる。そういう意味で、裂は織り手の心の旅路なんですよね。さらに、織っている間の時間の流れが裂に織り込まれているので、「裂の記憶」でもある。ですから織り手が毎日向かい合っていることを実際に作品にしたということですね。

堀畑
《光の經》では120本しか立っていませんが、実際に織る時はその10倍の1200本の経糸が機に掛かり、緯糸が打ち込まれ布という物質になるんですね。でもこの作品のようにそうではない場合、これはもう物質と非物質の間のような感じがします。それに、大管に巻かれている糸の色も、草木だけで染めたとは思えないぐらい本当にビビッドですね。

志村
両端は藍で、真ん中が梔子(くちなし)の色です。祖母もよく引用するゲーテの『色彩論』*2によると、闇の世界から藍が生まれ、光の世界から黄色が生まれ、その藍と黄色が混合されたところに緑が出てきます。植物から色は無限に出てくるのですけれど、染まらない色が緑と黒。不思議ですがこの2色は植物では染まらないんです。

堀畑
皆さまから見ると経糸の色が消えて見えないので、ぜひ横から斜めに見てください。ふわっと色が浮かび上がってきて面白いですよ。まるで虹が掛かっているような印象です。光でできた実体のない帯みたいなもので、不思議な魅力を持ったあの虹に似た感覚もここに表れている。そういう日常的な世界をも思わせる象徴的な作品です。

志村
光はそもそも無色透明で、真空の宇宙空間に存在するときは全く見えず、それが地上に下りてきてさまざまなものとぶつかることで、はじめて色になるんですね。この作品でも、経糸を正面から見るとあまり色が見えないんですが、横から見ると色が出る。これは影があるからなんですね。だから、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』*3のように光だけではなく、影の部分があって初めて色は出てくるのが、面白いですね。

正木
今日もいらっしゃっている写真家の桑島薫さんが、実際に機にかかっている状態の光臨を撮影されています。桑島さんはhikariwomatouの物作りをブランドが立ち上がったときから、3年間記録してくださっていて、今回の展示ではその写真も一緒にご覧いただけますので、実際の織りの風景を想像していただけると思います。他にも植物を採取して染めていく過程などを捉えた綺麗な写真も展示しています。

志村
hikariwomatouのコレクションの織りについて話を進めると、今回はmatohuさんのデザインで制作したのですが、それでもやっぱり色はコントロールしきれないんですよね。経糸と緯糸の重なりで織色が出ますが、これは織ってみないとなかなか見えてきません。さらに、ここに織り手の感性も入ってくる。織り手の精神の影というか、その人がこれまでどういう人生を歩んできたかが織りに出ます。それはいくらデザインがあっても滲み出ますね。

堀畑
僕らが普段着ているものは機械で織られていることが多く、具体的な制作の時間をあんまり意識しないですけれど、ここにある布たちは織り手さんたちの生きている時間そのものが織り込まれているんですよね。

関口
だから同じ人が織っていても、同じものにはならないんです。打込みの微妙な強さや加減もあります。きっと50年前ぐらいまでは布を織った人や仕立てた人の顔を、使う人もわかっていたと思う。でも今は知らなくて当たり前で、どう作られたのかもわからない。

堀畑
どうしても布とかファッションになると消費材になってしまい、今はそういうありがたみをほとんど感じなくなってしまっている。僕たちも、着ていただく方と作り手とをどのように繋げるのかを常に問いかけていますね。

正木
私は織りって怖いなと思ったことがあります。時間と空間を繋ぐような織りの働きに、恨みや執念が宿ることがあるかも。織るってその人が向かい合っている時間そのもので、それが形になったものなので。もっというと植物の命の時間など、色々な時間が集積されて目の前にあると思うと、すばらしいと同時にパワーと怖さもあるなと感じます。
ところで、何人ぐらい志村さんの織り手の方はいらっしゃるのですか。

志村
京都嵯峨野の都機工房からすぐのみどり工房に、5、6人ほどです。アルスシムラという染色と織りの学校を卒業して、自宅で機織りをしている方々もいて、そちらは10人から15人ほどいます。学校は設立してちょうど今年で10年目を迎えました。これまでの卒業生は500人から600人ほどでしょうか。

堀畑
このプロジェクトが面白いのは、アトリエシムラのベースに学校があることなんです。
つまり、日本の伝統的な草木染めと手織りをただ教えるだけではなく、さきほどのゲーテの『色彩論』の話や志村ふくみさんの思いといった精神性を学び、卒業された方が全国に500人以上いらっしゃる。実はその方々にもhkariwomatouの布を今回織っていただいています。さらに染料になる植物も全国から京都の工房に集まってくる。

志村
そうですね。ほとんどの染める草木は採集したり、いただいたりすることが多いです。例えば藍の原料になる蒅(すくも)は徳島の蒅師さんから分けていただいていますし、「雪光」という長着に使われている臭木(くさぎ)という植物の実も、屋久島や熊本をはじめ、全国各地の方々から送っていただいてます。桜や梅もそもそも売っていないので、剪定したものをご縁でいただくことが多いです。

堀畑
だから、単に作家さんのものを一人で作っているのではなく、色々な人との協同でできているという意味では、昔の分業やギルド的なものにとても近い。

志村
作家といえども一人でできることは限られていて、機道具も大工さんに作ってもらい、生糸は蚕を育て糸を取ってもらう。色々な段階で誰かの力を借りている。アトリエシムラは2、30人ほどの制作集団として役割分担をしますが、集団で大事なのは核になっている理念が共有されていることです。理念が共有されてないと集団として続けるのはなかなか難しいですね。

堀畑
着物だけではない新しい道の模索にとどまらず、すばらしい技術や精神を学び、織りたいけれどそれだけでは食べてはいけないという人たちが全国にたくさんいらっしゃるので、そういう人たちの活躍する場としても新しいブランドを作りたいと、最初の相談の時にアトリエシムラさんがおっしゃっていました。だから、hikariwomatouは単に志村ふくみさんという巨匠の教え子とファッションデザイナーが協同した話ではなく、日本の染織文化を受け継ぎたいという熱い志を持つ全国の人々が一緒に参加しているプロジェクトなんです。

hikariwomatouのアートとしての可能性 
— 着物を取り入れ、更新されるテキスタイル・アート

正木
西洋から入ってきた現代アート、コンテンポラリー・アートという言葉は、今まで自分たちが常識だと思ってきたものが塗り替えられて、常に新しい価値観を生み出すようなものを指します。それは物質だけでなく、ある種の体験も含まれます。でも時代は常に変化していて、コンテンポラリー・アートという言葉やカテゴリー自体も常に問われていると思います。
織りが、テキスタイル・アートという分野としてコンテンポラリー・アートに取り入れられたのは1900年代です。もちろん織りという文化や技術自体はすでにアフリカ、日本、アジア、ヨーロッパなど、世界各地にあったわけですが。
日本のテキスタイル・アートもニューヨーク近代美術館(MoMA)の「Structure and Surface: Contemporary Japanese Textiles」(1998-99)*4という展覧会で紹介されたのですけれど、まだ当時のアメリカでは造形や素材の面白さ、新しいテクニックといったものを使うアートが多かったと思います。

堀畑
抽象絵画みたいなイメージがありますよね。

正木
他にも立体的な造形物などさまざまですけれども、近年世界的にもう一度テキスタイル・アートが頻繁に出てきています。現代的なミュージアムで、テキスタイルのアーティストが台頭してくるのが近年の現象です。イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館 *5のように、テキスタイルをデザインや工芸に含む流れもありますが。

堀畑
それらは布の造形表現ですけれども、hikariwomatouは布としておっしゃったようなアート性はありつつ、同時に「用」がある。着るという目的がある。そこはいわゆる現代のテキスタイル・アートとはまた違うということですかね。

正木
最近のテキスタイル・アートは、織りの文化を女性が担ってきたことからジェンダーについてなど、その国々の歴史や、文化、民族、男女の表現の一つの場として使われることがあり、立体的な造形や新しいテクニックではなく、自分のルーツを探るような要素がフューチャーされてきています。そういったなかで私がhikariwomatouを面白いなと思ったのは、そこに先ほどの話のように、たくさんの織り手の人たちが織って生まれてきたものを着るという行為に及んだときに、それはパブリック・アート*6というか、また新しい表現の在り方を提示するのではないかという新たな可能性です。

志村
アトリエシムラは普段、着物を制作しています。着物は日本の伝統的な衣装ですが、明治維新以降、徐々に着る人が減り、今では日常生活はもとより冠婚葬祭でもあまり着なくなりました。そのような現代において、日本人としての民族的なルーツを持つ衣装が何なのかが、今問われている。さらに、そもそもこのような問題意識がなくなっている状態にあるとも思います。着物も日本の一つの様式だったのですが、もはやそれが解体されたと言えるでしょうね。
西洋の芸術は古典主義やロマネスク様式 *7など、それぞれの時代ごとに固有の様式がありましたが、20世紀に入りその様式がなくなり、自由だけれどもカオスな時代になったと思うんです。そこから、「何が芸術か」という問題も生まれてくるわけです。そして日本の工芸の世界で着物という様式が解体された今、次にどういう形が出てくるのかが見えない。着物を超える型が簡単に見つからない。私たちも着物は作れるけれども、着物を超える型に出会えてなかった。そんなときにmatohuさんと出会い、今の生活スタイルに合った新しい型を提案することが今回のプロジェクトに繋がったと感じています。

堀畑
僕たちはmatohuを始めた時に作った形があるんです。それが「長着」というアイテムで、ブランドが続く限り絶対に形を変えないデザインにしようと思っています。すごくシンプルな形ですが、それがここに並んでいるアイテムと同じ形です。今日、僕たちも全員長着を着ています。
実は「長着」の開発のときに一つだけ制約を作ったんですね。それは、着物の反物の幅で作るということです。ブランドがスタートした当時は着物とコラボレーションなんてできないから、あんまり意味がなかったのですけれど、それから18年後にようやくhikariwomatouという形で、本当の意味で制約が活きてきました。

志村
アトリエシムラで使う機では40cm(1尺)の幅しか織れないんです。着物以外のものを制作しようとするとそこがすごくネックになります。京都の西陣では自動織機で150㎝という幅広の織物を作ることがありますけれども、150㎝は人間の手で杼が飛ばせません。

関口
小幅というものは日本の衣服の文化のなかでずっと積み重ねられてきた技術なので、その世界でしかできないことがある。だから日本の小幅の文化からできたテキスタイルを使うことは大切です。私たちが長着を作ったのは日本の衣服の文化に繋がるものを作りたかったからで、それが今活かせるようになってきました。

*こちらは前編の記事です。
後編の記事はこちら


*1 インスタレーション(Installation)
据え付け、取付け、設置の意味から転じて、展示空間を含めて作品とみなす手法を指す。彫刻の延長として捉えられたり、音や光といった物体に依拠しない素材を活かした作品や、観客を内部に取り込むタイプの作品などに適用される。特定の場所と密接に結びつく(サイト・スペシフィック)ことや、多くは短期間しか存在しないなどの特徴も付随する。(artscapeより引用)
*2 『色彩論(Zur Farbenlehre)』
1810年に発行されたゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749-1832)による著書。教示篇・論争篇・歴史篇の三部構成からなり、教示篇で色彩に関する己の基礎理論を展開し、論争篇でニュートンの色彩論を批判し、歴史篇で古代ギリシアから18世紀後半までの色彩論の歴史を辿っている。(Wikipediaより一部引用)
*3 『陰翳礼讃』
1933年に谷崎潤一郎(1886-1965)によって発表された随想的評論。西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張した。(Wikipediaより一部引用)
*4 詳細は以下を参照。MoMAホームページhttps://www.moma.org/calendar/exhibitions/228 
*5 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)
2千年以上にわたる人類の制作活動による作品をさまざまな表現媒体を世界中から収集する、デザインを主題にしたイギリス博物館。1851年のロンドン大博覧会をきっかけに、労働者階級への教育と国内のデザイナーや製造業者への感化を目標として設立された。1857年に現在の敷地に移ってからは、アートとデザインの歴史を包括すべく、さまざまな時代の優れた金属細工、家具、テキスタイルなどの工芸品を収蔵するほか、絵画、彫刻、印刷物など美術作品も多く所蔵する。(MMM(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド)ホームページより一部引用)
*6 パブリック・アート(Public Art)
1960年代以降、欧米を中心に「公共性」あるいは「公開性」の議論を伴いながら発展・拡大してきた概念。日本では90年代半ばにファーレ立川および新宿アイランドにJ・コスース、R・ラウシェンバーグ、R・リキテンスタインら国際的アーティストの彫刻が高額で購入・設置されたことなどにより周知のものとなる。それゆえ、地域再開発を目的として物理的「公共空間」に彫刻作品を設置するという意味合いがいまも強い。他方、英語圏などでは、例えばL・リッパードが「観衆のために(または観衆とともに)作品をつくり、観衆を考慮することに関心を持って、そして観衆に挑戦したり、巻き込んだり、彼らの相談にのったりしながら、コミュニティと環境を尊重するすべてのアクセサブルな作品」(1995)と定義した例に見られるように多元的な議論が重ねられてきた。(artscapeより一部引用)
*7 ロマネスク様式
11~12世紀に、ビザンツ様式についでヨーロッパで広がった建築とそれに付随する彫刻・絵画などの美術様式。12~13世紀にはゴシック様式に移行する。代表的なロマネスク様式の建築は、フランスのクリュニー修道院、イタリアのピサ大聖堂、ドイツのヴォルムス教会堂など。(世界史の窓より一部引用)


matohu
デザイナー 堀畑 裕之 関口 真希子
「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトにした服飾ブランド。2005年に設立。東京コレクションや美術館での展覧会を通して歴史や美意識、伝統技術などを現代的に昇華した作品を発表。現代日本を代表するブランドの一つとして国内や海外のメディアから高い評価を受けている。

atelier shimura
代表 志村 昌司
染織家・志村ふくみの芸術精神を継承した染織ブランド。志村昌司を中心とした次世代の作り手によって、植物の色彩世界を伝えていきたいという想いから2016年に設立。 京都・嵯峨野の工房で、すべて根や枝、葉など植物の生命で染め、手機で織り上げている。

Gallery NAO MASAKI
ギャラリスト/アートディレクター 正木 なお
「何もないゼロの状態(知識で判断をしない)で作品と対峙し感受するアート体験の場」をコンセプトに、2005年「gallery feel art zero」を開廊。2018年「Gallery NAO MASAKI」に名称変更。ギャラリストとしてだけでなく空間ディレクターとして、 店舗デザイン、什器や室礼、アートコーディネート、 グラフィックなど総合的にディレクションを行う。

撮影:桑島 薫

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