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「hikariwomatou 光をまとう」 京都展 トークイベント 前編

光と色の思想について
matohu × 志村昌司

日程:2023 年 6 月 10 日(土)10:15〜11:00
会場:京都 源鳳院
話し手:堀畑 裕之・ 関口 真希子(matohu デザイナー)/志村 昌司(アトリエシムラ代表)

「hikariwomtou 光をまとう」展示会中、会場にてトークイベントを開催しました。
今回のトークイベントでは、matohu デザイナーの堀畑裕之、関口真希子とアトリエシムラ代表・志村昌司が、「hikariwomatou 光をまとう」ブランド設立の経緯やコンセプトについて語り合います。

*こちらは前編の記事です。
後編の記事はこちら


アトリエシムラと matohu の出会い 
— 人はどうすれば光をまとうことができるのか

堀畑
おはようございます。

(会場:おはようございます。)

服飾ブランド matohu の堀畑と申します。

関口
関口と申します。

志村
アトリエシムラ代表の志村です。よろしくお願いいたします。

堀畑
皆さま、朝早い中お越しいただきありがとうございます。それほど暑くない、適度な曇り空で涼しくてよかったなと思っております。 お越しいただいている源鳳院山科伯爵邸はお公家さんの山科家の邸宅で、ちょうど三十代目のご当主が後ろにご臨席ですが、山科家はもともと衣紋道、つまり天皇家に十二単や束帯などの装束を着せつける役職を司っていらっしゃる御家です。この建物も大正時代に建てられたそうで、とても格式があり、お庭も名匠七代目小川治兵衛さん *1 が作られたと聞いております。そんな「衣」と関係の深い場所で、hikariwomatou の展示が開催できるなんて、とてもありがたいと思っております。

今日はみなさんに、この hikariwomatou というブランドがどういう経緯でできたのかというお話と、さらにこのブランドが目指す方向性をお話したいと思います。そして、志村ふくみさんから「私の生涯の仕事、光と色の思想をファッションの世界で展開してくださることを喜んでいま す」というお言葉をいただいたのですが、ではそもそも「光と色の思想」とは何なのか? これは 45分では絶対語れないのですけれども(笑)、皆さまと共有できたらいいなと思っています。その後で作品を見ていただくと、また見え方も変わるかもしれません。そもそもこのプロジェクトが立ち上がったのは、いつ頃でしたか? 志村さん。

志村
3年くらい前ですかね。堀畑さんと関口さんとはもともと 10年ほど前、祖母がライナー・マリア・リルケ *2 という詩人の『薔薇のことぶれ』(2012)と『晩祷』(2012)という 2冊の本を出 版したときに、知り合いになりました。たしか堀畑さんから祖母へお手紙をいただいて。

堀畑
はい。長い巻物の手紙を書いたんですよ。僕はスイスで彼が住んでいた家やお墓、パリで下宿していた建物を全部回るくらいにリルケの大ファンなんです(笑)。
もちろんふくみさんのご著作も拝読し、作品も拝見していましたが、あの方がリルケについてこんなにも深い思いを寄せられているのか!と感動しました。それでお手紙を書いた事がきっかけで、洋子さんや昌司さんご家族ともお付き合いさせていただけるようになって、リルケが結んでくれたご縁だなと思っております。

志村
もしリルケにご関心のある方がいらしたら、実際にその本も取っていただきたいのですが、やっぱり人間存在の意味というのですか、人間は自然から委託を受けた存在であるという彼の考え方は心惹かれます。芸術とは、言葉なき自然からの委託を受けて人間がそれを美的に表現するんだと言うんですね。僕もそこがとても印象に残っているし、祖母も本で書いているのですが、そこはいかがでしょうか。

堀畑
リルケの畢竟の大作『ドゥイノの悲歌』という詩集があります。その中で、「人間はぜこの世に生まれてきたのか?」ということをリルケは問いかける。それは何かを語るために生まれてきたのではないか?と書いているんですね。自らは言葉を持たない自然から、代わりに語って欲しいと託された願い。自然からのそんな依託を、人間は詩や工芸などを通して語ることができる。それが人間存在のひとつの意味なんだということをリルケは「第9の悲歌」で言っている。その部分が、ふくみさんが平織りの紬の着物を通して生涯追求してこられた事と、根底で響き合っていると思います。

さて、まずはなぜ hikariwomatou というブランド名にしたのかという話をさせていただけたらと思うのですけれど、このブランドのコンセプトは「人はどうすれば光をまとうことができるのか」という、すごく抽象的なものです。光は直接見えないし、触れることもできない。しかしそれをまとうことができるとしたら、「植物の色」を通してできるのではないか? そういう深い思い。そこを志村さんと私たちは共有して、このブランド名になっております。そもそも一緒にブランドを始めようという最初のきっかけは、やっぱり着物という形だけではなかなか現代の衣服の生活の「用」として、多くの人に届かないところがあるということでした。そこで着物という形とは違う、しかし本質的な部分は失われないような衣服を提案しようと考えました。志村さんたちの草木の色で染め、手で織る行為を通して、そのもっと奥に深く掴んでいらっしゃる精神性も含めたものを、着物以外の形でどうしたら用いることができるのか。そのようなことを目指しているプロジェクトです。だから、単に着物地で洋服を作ったということとは全く性質が違うと思っております。

志村
そこは非常に大きなポイントですね。特に着物を制作している僕たちからすると、着物地、つまり一尺の幅の反物を織り、それをどのようなフォルムにしていくかというとき、どうしても着物になる。着物というフォルムは、時の経過の中で洗練されてきたデザインなので、非常に無駄がないし美しい。ですから、それを洋服に転用しようとすると非常に無理が出てくる。着物が持っている内在的な論理と洋服が持っている論理がもともと違っていることを無視して、着物地を洋服にするのは非常に安直かなという気がします。その中で、今回の hikariwomatou のコレクションについて具体的に紹介していただけますか?

堀畑
今回 hikariwomatou では 2種類の服を作りました。一つは私たちが「長着」と呼んでいるアイテムで、matohu で 18年間初心を貫く姿勢で、同じ型紙を使って形を変えず作り続けているものです。

毎シーズン、生地だけを変えて8型ほどの2〜3色展開なので、ブランドを始めて多分 600種類くらい作っているんじゃないかなと思います(笑)。ちょうど志村さんも関口も着ていますが、一見着物のように見えますけれども、着ていただくと衣服としては筒袖で、着丈は膝下丈くらいのものですね。

(志村が立ち上がり、長着を来場者に見せる)

このように表着と内着が 2枚セットになっているのですが、別々でも重ねても着ていただくことができる、和でも洋でもない新しい衣服として提案しようと作ったのがこの長着です。そもそも18年前に僕たちがいつでも着物の織り手さんたちとコラボレーションできるように、着物の反物巾で作るという制約を設けて創造したものなので、衣桁に掛かっていると着物っぽく見えるし、自分には着れないかなと思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、羽織っていただいたらわかるかなと思います。着物とは全然ちがう。普通にまとうことができる。この長着を、今回のアトリエシムラに織っていただいた布で作っているのがまず一つですね。
もう一つは、後ろに掛かっているジャケットです。これはいわゆる洋服のジャケットの形にしています。洋服と着物は型紙の構成原理が違っていて、着物は直線的ですが洋服は体にフィットするよう曲線的に作るものなので、着物の反物巾でいかに無駄なく裁断するかを考えて作りました。しかも、ピークドラペルという襟先が少しとんがったジャケットで、襟を立てて着てもすごくシャープでモダンに、あるいは襟を折り返して通常のジャケットのようにも着ていただける。大きくはこの2つです。

実はそれ以外にも、ボタンも注目していただきたいのですが、これは伊万里焼のジュエリーを作っていらっしゃる作家さんに、hikariwomatou のテキスタイルを見せて釉薬も考えてもらい、一点一点特注で作っていただきました。
また今回はそれぞれのテキスタイルに「雪光」、「湖月」、「花霞」など、心に広がるような自然の風景の名前を付けています。さらに「一着のレシピ」がその下に綴ってあり、この一着の服ができるためには、どのような素材を何の植物で染めたのか、どれくらい染めや織りや縫製に時間がかかっているのか。この生地のコンセプトは何かということも書いてあります。一つ一つ絵画を鑑賞するように読みながら見ていただきたいと思っております。
他にも竹で作った額装で裂を絵のように嵌め込んだ現代的な掛け軸も提案しております。こちらも風景を眺めるように見ていただけたらと思います。
それから、床の間にはハンドバッグも飾っています。テキスタイルは今回の生地を使っていますが、バッグの持ち手が特徴的です。山桜、楓、檜という日本の樹木を、ロクロの回転で削り出す挽物という技術で作っているものです。金具も含めて全部オリジナルで作っております。
廊下側には今回のプロジェクトを 3年間追いかけてくださった写真家の桑島薫さんが、アトリエシムラの工房で撮った美しい写真も展示、販売しております。
最後に一番奥にある《光の經》という作品は、志村さんから説明していただいたほうがいいかもしれない。

志村
あれは京都国立近代美術館や、資生堂ギャラリーでも展示をしたことがあるインスタレーション作品 *3 です。経糸を表現したもので、普段機に乗っている人であればこの場面は常に見ているわけですけれども、一般の人はまず見ない光景ですよね。今回は「光臨」柄の経糸をイメージしたものです。角度によって非常に見え方が変わってくるのがおもしろいです。正面から見るとあまり色が見えないわけですが、横に移動していくと非常に色はよく見えてきます。祖母の「光と色の思想」についてお話しする際に触れるゲーテの『色彩論』という著書にも、色彩は光とともに闇が必要だという考え方があり、この闇の存在の必要性がこのインスタレーション作品からもよくわかります。

hikariwomatouを支える「光と色の思想」 
— 植物の色彩の背後にある見えない世界

堀畑
それではいよいよ「光と色の思想」についてお話ししたいなと思うのですが、そこでご紹介したい本が 2冊あります。
一冊目は私が 2019年に出した『言葉の服 おしゃれと気づきの哲学』という本です。冒頭に「ふきよせ」というコレクションについて書いています。そこでは日本のぼろやぼろ織り、残糸織りや朝鮮のポシャギの美しさは何だろう?と問いかけているのですが、その中に志村ふくみさんが作られた切り継ぎの着物の話が出てきます。僕たちはmatohuのコレクションを創作するうえで、非常にふくみさんのお仕事に影響を受けたというか、強く感動して物作りをしています。こういったものを取り上げて、日本の美意識とは何かということを書いた本です。
それともう一冊は志村ふくみさんのエッセイ集『野の果て』です。この本はいつ出たのですか。

志村
6月1日、今月ですね。まだ出たばかりです。『野の果て』に収録されているエッセイは、祖母が31歳で仕事を始めてから 99歳に至るまでの経験の中で紡ぎ出された言葉の集大成です。今年 99歳、白寿ということで、これまでの随筆300本ほどの中から後世に読み継いでほしいものを自選として53編選びまして、それをそれぞれ、私、仕事、思想の3部で構成し、新撮の写真と僕の解説を付けた本です。

堀畑
この本の中の写真に、いまお話しした切り継ぎの着物に光が当たっている写真があって、すごく美しいですね。教会のステンドグラスみたいです。
この本の中にふくみさんのすばらしい言葉が散りばめられていて、「光と色の思想」が凝縮されている感じがします。そもそもふくみさんの「光と色の思想」がどのようなものなのかを辿ると、日本の伝統的な草木染めの世界、自然から命をいただいてそれをどのように染めていくのか、あるいはそれをいかに表現してきたかという民芸の世界から、ふくみさんは出発されていると思うんですね。そしてその世界から離れて、作家として何十年も織っていかれる中で掴み取った思想が次にあると思います。さらにその蓄積のうえで、ゲーテやシュタイナーという西洋の哲学者の言葉に確信をもらうというか、改めて自分が感じ取ってきたものの意味をより精密に言語化していったように見えますが、いかがでしょうか。

志村
祖母の最初の出発点は民芸運動で、実母の小野豊が上加茂民芸協団 *4の青田五良さんに染織の手ほどきを受けたことが影響しています。その後、柳宗悦さんに勧められて染織の道に入り、青田さんがやっておられた染織を始めたわけです。ただ、仕事をしていくうちに植物の色彩の背後にある見えない世界に気づき始めます。もともと古代の日本でもそのような考え方がありまして、植物が宿している精霊や魂を色として糸や生地に移していると信じられていたこともあり、祖母は草木染めから「祈りの染め」に目覚めていくんですね。
さらに藍建てを始めてから、色彩の不思議さにも出会います。その代表的なものが、藍甕から糸を引き揚げたときに一瞬見せる緑色、エメラルドグリーンです。これは 5秒とか 10秒しか見ることができず、瞬く間に藍色に変わっていきます。僕たちの今目の前にある庭もほとんどが緑色ですけれど、実際緑の葉を染めようと思ったら緑には染まらず、大体グレーっぽくなります。つまり現世にすでに出ている緑色には決して染めることができないんです。さきほどの藍建ての時に一瞬見られるエメラルドグリーンも、現世に固定した色ではなく、ある意味、色即是空ではないけれど、万物流転というものが非常によく現れている現象です。ゲーテの言う、色は光と人間の知覚が融合したところに現れるものであって、色だけが人間から独立して存在するわけではなということに祖母もだんだんと気づき、究極的に植物の色彩がぐーっと抽象化され、光の色彩という考え方になっていきます。

ですから大きく見ると、祖母の染織の歩みは一つの科学、生きた自然の探求であり、同時に自然の書物を読み解く行為でもあるのです。染織という仕事を通して、科学では捉えきれないような生きた自然を生き生きと捉えることができた、自然の声を聞くことができたということが祖母の生涯の仕事だと感じています。それをまとめると「光と色の思想」になるのかなと思います。

堀畑
この本の解説の中で、志村昌司さんがゲーテの『色彩論』の序を引用されています。少し朗読したいと思います。

光のすぐそばにわれわれが黄と呼ぶ色彩があらわれ、闇のすぐそばには青という言葉で表される色彩があらわれる。この黄と青とが最も純粋な状態で、完全に均衡を保つように混合されると、緑と呼ばれる第三の色彩が出現する。

志村ふくみ『自選随筆集 野の果て』2023、岩波書店

今日、皆さんの目の前にあるこの長着。「光臨」、光を臨むという名前をつけました。上から光が降りてきて、黄色がだんだんと闇に変わっていくことを表しているテキスタイルなのですが、まさにこの黄色の部分と青の部分の境目に緑が生まれるのです。これは別にゲーテの『色彩論』を参考にしてから作ったわけではないのですが、hikariwomatouというブランドを具体化するとき、最初に象徴的なものを作ろうとして生まれたのがこの「光臨」の長着です。

先ほど光は目に見えないものとおっしゃっていましたが、まさに我々は光そのものを見ているわけではない。光が何かに当たり、跳ね返ってきたものが色となって私たちの目に届いている。だから光自体は見えない。でも光が当たった瞬間、この世の存在者は色になって現れる。ある意味とてもシンプルなことですが、その部分が実はとても深い。

「hikariwomatou 光をまとう」 京都展 トークイベント 後編はこちら


*1 七代目小川治兵衛(1860−1933)
近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。屋号は植治。京都をはじめ全国の社寺仏閣、邸宅などの庭園を手がける。代表作は数多く残され、山縣有朋の別荘「無鄰菴」をはじめ「平安神宮神苑」「並河靖之邸(七宝記念館)」「円山公園」などが挙げられる。(Wikipediaより一部引用)
*2 ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875−1926)
旧オーストリア・ハンガリー帝国領ボヘミアの首府プラハの出身で、ドイツ語詩史上有数の詩人。(日本大百科全書(ニッポニカ)より一部引用)
*3 インスタレーション[Installation]
据え付け、取付け、設置の意味から転じて、展示空間を含めて作品とみなす手法を指す。彫刻の延長として捉えられたり、音や光といった物体に依拠しない素材を活かした作品や、観客を内部に取り込むタイプの作品などに適用される。特定の場所と密接に結びつく(サイト・スペシフィック)ことや、多くは短期間しか存在しないなどの特徴も付随する。(artscapeより引用)
*4 上加茂民藝協団
1927年(昭和2年)3月に京都で発足した民藝運動の団体で、青田五良・黒田辰秋らが参加した。1929年(昭和4年)に解散。(日本民藝協会ホームページより引用)


matohu
デザイナー:堀畑 裕之・関口 真希子
「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトにした服飾ブランド。2005年に設立。東京コレクションや美術館での展覧会を通して歴史や美意識、伝統技術などを現代的に昇華した作品を発表。現代日本を代表するブランドの一つとして国内や海外のメディアから高い評価を受けている。

atelier shimura
代表:志村 昌司
染織家・志村ふくみの芸術精神を継承した染織ブランド。志村昌司を中心とした次世代の作り手によって、植物の色彩世界を伝えていきたいという想いから2016年に設立。 京都・嵯峨野の工房で、すべて根や枝、葉など植物の生命で染め、手機で織り上げている。

撮影:桑島 薫


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