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「hikariwomatou 光をまとう」 東京展 トークイベント 前編

ファッションと工芸とアートの垣根を越えて
matohu × 志村昌司 × 正木なお

日時:2023年7月6日(木) 17:30〜19:30
会場:草月会館
話し手:堀畑 裕之・関口 真希子(matohuデザイナー)/志村 昌司(アトリエシムラ代表)/正木 なお(Gallery NAO MASAKI)

「hikariwomtou 光をまとう」展示会中、会場にてトークイベントを開催しました。
今回のトークイベントでは、matohuデザイナー・堀畑裕之氏、関口真希子氏、アトリエシムラ代表・志村昌司氏、ギャラリスト/アートディレクター・正木なお氏が、「hikariwomatou 光をまとう」ブランド設立の経緯やコンセプトについて語り合います。

*こちらは前編の記事です。
後編の記事はこちら


それぞれの分野で、今起きていること 
— ファッションと工芸とアートの視点

堀畑
まず自己紹介をさせていただきます。私は服飾ブランドmatohuのデザイナーの堀畑裕之と申します。よろしくお願いします。

関口
matohuのデザイナーの関口と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

志村
アトリエシムラの志村昌司です。どうぞよろしくお願いします。

正木
Gallery NAO MASAKIの正木なおと申します。工芸とコンテンポラリー・アートのカテゴリーを横断した展示を企画しています。よろしくお願いします。

会場 (拍手)

堀畑
まず簡単に、このブランドがどうしてできたかという経緯をお話しさせていただこうと思っております。私たちが大変尊敬する染織家の志村ふくみさん、洋子さんのお仕事をずっと遠くから拝見していたのですが、とあるきっかけで、10年以上前に私がファンレターをしたためました(笑)。そしてそのファンレターに、ふくみさんから何とお返事をいただき、それ以来嵯峨野の工房にお伺いすることもあり、交流を持たせていただいております。
そういった流れのなかで3年ほど前に、昌司さんから何か一緒にできないかというお話をいただき、このhikariwomatouプロジェクトがスタートしました。

志村
私たちの工房は京都の嵯峨野にありまして、草木を採集したり、お付き合いのある方々からいただいたりして、それで糸を染めて、機にかけて織って、最終的には着物を制作しています。ただ現代の生活の中で、着物の位置づけは徐々に変わってきていまして、普段我々が着る衣服といえば洋服で、着物を着る機会は確実に減っています。着物は着物として大切ですけれど、私たちの裂を使って現代の生活に合った衣服ができないかとずっと思っていました。しかし安易に着物を洋服に変えるのはあまりうまくいかないケースが多いと思います。そうしたなか、日本の美意識を根底に置いた活動をされているmatohuさんに出会い、意気投合しまして、着物とファッションを非常にスムーズに融合させて、私たちの裂が洋服になり、今回の新ブランドhikariwomatouの発表になりました。

堀畑
今お話をいただいたように、今年で18年目になるmatohuが、コンセプトとして一番強く持っているのは、「日本の美意識が通底している新しい服の創造」です。日本のすばらしい工芸の世界とファッションの世界をどうやったら近づけることができるかと模索し続けてきました。今回のhikariwomatouの仕事で、ある意味で私たちが本当にやりたかったことに一歩近づいたのではないかと思っています。
このプロジェクトは、スタートする当初から私たちと志村さん、そしてもう1人、こちらの正木なおさんとで進めてきました。なぜかというと、このプロジェクトは単にファッションデザイナーと工芸のコラボレーションで終わらせてはいけないと思っていたからです。そこで、また別の視点、つまり現代のアートの目線でもこのプロジェクトを見て、考えてくださる方がいないかと考えたときに思い浮かんだのが、正木なおさんでした。
正木さんはコンテンポラリー・アートのギャラリーをされていますが、アートだけではなく工芸にも注目し、両者の根源的な部分を近づけようされており、境目なくお客様に提案されています。そこがとてもユニークだと思います。それで私らからお願いをして、hikariwomatouを立ち上げる最初から入っていただきました。

正木
堀畑さんと関口さんとは、matohuが立ち上がって2年目ほどの時に作品を拝見したのが最初の出会いでした。長くおつき合いをさせていただいています。
今回のお話をいただいたときに、私は何をすべきかが最初はわかりませんでした。志村ふくみさん、洋子さんのお仕事も書籍で拝見した程度でテキスタイルに詳しいわけではありませんでした。しかしお話をいただいてから、アトリエにお伺いし工房の2階に階段で上がった瞬間、もう空気が違いました。光で輝いているもの、糸の美しさと生地の強さのようなものに体が反応して、本当に涙が出るような体験をしました。この体験には広く伝える力があるし、伝えることが必要だと直感し、ご一緒させていただくことになりました。それが今から3年前でした。

堀畑
今日のトークは「アートと工芸とファッションの垣根を越えて」というテーマですが、これ、口で言うの簡単ですけれど、実践するのはなかなか難しいことです。そこでまずはとっかかりとして、ファッションとはどういうものだろう?アートとは?工芸とは?という、基本的な性格づけをした後で、現代において行き詰っている状況、考えないといけない点はどこなのかをそれぞれの分野でお話しできたらと思います。私と関口がファッションで、志村さんが工芸、正木さんはアートという立場からその話をしたいと思います。
まずファッションの世界から。コレクションは春夏と秋冬の大体年に2回お店に並びます。半年ごとに変わっていくというのが基本的なベースでしたが、今ではもう半年ごとではなく、春と夏の間にももう一つコレクションが入るなど、細分化が急速に進んでいます。1年間に5、6回ほど展示会やコレクションがあるのは普通なんですね。ですから、店頭に並ぶのも1、2カ月ですぐにもう古くなってしまう。まだ新品であるにもかかわらずです。でも流行が古くなり、セールにかけて捨てられるようなことが繰り返し起きているのがファッションの世界です。日本ではおよそ年間50万トンの服が捨てられているという話で、生産した服の半分は結局人が着ないで、廃棄されているんですね。しかも服を安価にするためにアジアの安い労働力を使って、すごく無理な生産をしています。これはもうむちゃくちゃな世界です。そしてそれに対する反省が今、すごく高まりファッションの世界にもサステナビリティ、SDGsが急務だといわれているのですが、どうすればそれを解決できるのか、誰も明確に応えられないままです。ポリエステルの再生や、着ていた服のリユース、リメイクというような話にすぐになるのですが、本質的な解決にはなっていない。もっと根本的に私たちの意識の在り方や、物作りの在り方、消費の仕方が変わらないといけない状況にきている。これが今のファッションの現状と問題かなと思います。
では次に志村さんに。工芸とはどういうもので、現状どのような問題点があるのでしょう?

志村
工芸といっても、染織に限られた話ではありますが、3つポイントがあるかなって思っています。1つは、今回のhikariwomatouというブランド名にも入っている「光」ですね。私たちは植物で染色しているわけですが、さらに遡ると色は光ですよね。地球上に降り注いでいる光が、さまざまなものと出会うことによって、色に変化します。しかもその光は、色彩の根源であるばかりでなく、生命の根源でもある。光がなかければ、地球の生命は存在できないことを考えると、光が物事のすべての始まりだと言えると思うんですね。
光があって、その光から生命が生まれて、生命の中でも植物の生命から色が生まれ、さらにはその色が形になっていくというように、目に見えない世界がこの世の現象界、現実世界の中で形になっていくのです。つまり私たちの仕事とは、光から生まれた植物の生命の色で着物を制作することと言えるわけです。
しかし着物は伝統的にフォルムが決まっており、揺るがないものでした。いわゆる伝統的な型というものです。それに対してフォルムそのものがさまざまに変化していくのがファッションの世界だと思います。私たちは型に従って、色を形にしますが、ファッションはフォルムも変わるし、色も変わる。その意味では、工芸よりも自由度が高い分野だなと思います。私たちはこれまで着物の型を動かすことがなかったわけですが、hikariwomatouでは形も生地に合わせて動かしていることが1つの新しい体験です。伝統工芸は、ある程度形や型というものが決まっていて、それが伝統たる所以ですが、いざ型そのものを動かそうとすると、今の現代的な知恵が必要だと思います。
2つ目は、染めについてです。そもそも古代の染めの考え方があり、染めは神さまごとでした。植物の和魂(にぎみたま)を糸や生地に移すことによって、植物の霊を人間が色としてまとうという文化が昔からあったのですが、今はもうそのような意識は全くなく、単なる物質としての色という捉え方になってしまいました。色には1つの植物の生命が宿っており、それを身にまとい、邪気を払うという意識は、現代人は持てないですね。ですので、私たちはもともと神様や自然に対して祈りながら染めていたことを思い出したいと思っています。今でも私たちが非常に大事に思っているのは、自然に対する帰依、自然に対して畏敬の念をもち、いかに自然の美しさを引き出すのかという精神的態度を持つことです。自我を強く持つのではなく、自分自身が美の器(うつわ)になり、自然の美しさを受け止める。そういった感性を育てていく必要があると思います。
3点目は、私たちの仕事は、柳宗悦さんの民芸運動*1が出発点としてあることに関係します。民芸の考え方のなかで、私が一番大事だと思うのは、美は誰もが生み出し得るということです。特定の才能のある人しか美を生み出せないのではなく、どんな人でも、柳さんの言うところの、ものごとが美しくならざるを得ない道に従えば、美を生みだしうるということです。工芸の技術と思想とは、そのような美しくならざるを得ない摂理が古代からの営みのなかで結実して、今日まで継承されてきたものだと思います。付け加えるとすれば、工芸の技術は、今でいう原子力発電やロケット技術のような科学技術とはちょっと違うんですよ。人間の五感に基づいた技術が工芸の技術ですが、今の最先端の技術は人間不在の技術です。

堀畑
では今、伝統的な工芸の一番陥っている閉塞状況はどのようなところですか。

志村
やっぱりものがなくなっているということですね。私たちがよく使う紫根とか日本茜とか藍とか、これらは全てなくなりつつありますし、あとは手機ですね。手機も、機(はた)職人が本来存在するのですけれど、いまは全然おられません。紬糸もなくなってきて本当に困っています。紬糸とは、生糸にできない蚕を一度真綿にして、それから手で紡いで糸にしたもので、それをする人がもはや日本にはいないんです。これまでは中国などでやってたのですが、それも難しくになってきて、次はどこになるのかと不安に思っています。資本主義が進展するにつれて、世界中で手仕事を続ける方も減ってきているという問題があるんですね。ですから、制作したい人は結構いるはずですが、その基盤になっている手仕事のエコシステムが崩壊しているように感じます。

堀畑
それに加えて、伝統的な工芸が現代の生活やニーズに合ったものがなかなか提供できてない、同じものを昔のままずっと続けていることも問題でしょうね。

志村
それもありますね。伝統工芸を守る意識が強すぎて、今の時代の急激な変化にどう合わせていくかへの意識が足りなかったのかもしれませんね。

堀畑
そのなかで今まで紡いできた知恵とか経験がだんだん失われてきているのは大きな問題なのかなと思います。
ではなおさん。一口で言うのは難しいと思うのですけれど、アート、特にコンテンポラリー・アート(現代アート)とは、一体どのようなものであると考えていますか。

正木
広く芸術といえば、人間は全員生きている限り、芸術作品を作れると私は思っているのですけれども、コンテンポラリー・アートに絞ると、やっぱり常に見た目よりも思考と表現が先にあって、それを新しくしていくものだと思います。現在大量の情報が急速に入ってくるので、昔よりさまざまな議論が展開されやすくなっていますし、またコンテンポラリー・アートはあることに対して常にアンチが出てくるため、絶対こっちだと言えない分野でもあります。このように色々な考え方が許されるので、作品を見る側も一緒に考えて価値観をアップデートしていけるんです。つまり社会を映し、新しくしていくところがコンテンポラリー・アートといえるのかなと思います。それと同時に人が作っているものなので、時代を映すものでもあります。例えば技術革新が起これば、それに言及するアーティストが現れます。
私自身、アートの世界を勉強してからギャラリーを始めたわけではありませんが、日本のアーティストの特徴って何だろうなと考えると、先ほどおっしゃっていた自然という言葉自体も芸術と共に明治以降に西洋から入ってきた概念で、自然と人間を分けた考え方です。しかし日本ではもともと自分と他者の境界がすごく曖昧であり、自分も自然の一部であるというような意識があると思います。ですので、西洋のように強く自分の意思を表現するよりも、やっぱり周りにある土とか光とかを見つめることによって、何か表現を見出そうとするアーティストが多いように感じます。だけれど西洋ではそれは通じないわけですよ。やっぱり何を考えて、どう表現したのかをプレゼンテーションする必要があります。ここが西洋と日本のとても違うところですが、じゃあ日本はだめなのかというとそうではなく、やっぱりそこにすばらしさがあると私は思っています。

関口
やっぱり日本の自然観って、自然との共生の中に色を衣服に移していくことに見出せると思います。常に空の色だったり、花の色だったりと、そういうものがすべてインスピレーションになる。何か自分のオリジナルなものを表現しようというよりは、自然の中から繊細に選びとる。周りのみんなにもわかるように、季節とシンクロしていくのが日本の良さでもあります。
そしてこんな色の着物が身に着けられたらうれしいとか、こういう柄のものを身につけたいとか、そういった思いが染織の本当の原動力だと思います。

堀畑
今、それぞれファッションと工芸とアートの話がありましたが、なかでもアートについて今、なおさんがおっしゃったように、ただ美しいか美しくないかという枠組みだけじゃなく、価値観を揺さぶって、何か新しい価値観を私たちに与えてくれるものではあると思います。一方で私の印象としては、あまりにも多様な価値観が次々に乱立したり、細分化されていくので、専門知識がないと見ている側が追いついていけないように感じますし、アート自体も不可解で多くの人がわかりにくいものになっているような状況もあるのかなと思います。この辺りはいかがでしょうか。

正木
何でもお作法というものはあると思うんですよ。いきなりお抹茶をどうぞと言われても、飲んだことのある人は、多少違えど茶器を両手で持つとか、お菓子を先に食べるとか、大体わかりますが、全く知らない方もいらっしゃいますよね。当たり前と思っているお作法が、それぞれの分野にもあると思うんです。コンテンポラリー・アートでも工芸でもファッションでも。もちろんお作法を知らなくてもいいのですが、知っているとその分野のより一層深い部分に進めるし、それは楽しいことだと思います。

*こちらは前編の記事です。
後編の記事はこちら


*1 民芸運動(民藝運動)
1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流だった。そのなかで、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語った。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示する。工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しており、失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らした。(日本民藝協会ホームページより引用)


matohu
デザイナー 堀畑 裕之 関口 真希子
「日本の美意識が通底する新しい服の創造」をコンセプトにした服飾ブランド。2005年に設立。東京コレクションや美術館での展覧会を通して歴史や美意識、伝統技術などを現代的に昇華した作品を発表。現代日本を代表するブランドの一つとして国内や海外のメディアから高い評価を受けている。

atelier shimura
代表 志村 昌司
染織家・志村ふくみの芸術精神を継承した染織ブランド。志村昌司を中心とした次世代の作り手によって、植物の色彩世界を伝えていきたいという想いから2016年に設立。 京都・嵯峨野の工房で、すべて根や枝、葉など植物の生命で染め、手機で織り上げている。

Gallery NAO MASAKI
ギャラリスト/アートディレクター 正木 なお
「何もないゼロの状態(知識で判断をしない)で作品と対峙し感受するアート体験の場」をコンセプトに、2005年「gallery feel art zero」を開廊。2018年「Gallery NAO MASAKI」に名称変更。ギャラリストとしてだけでなく空間ディレクターとして、 店舗デザイン、什器や室礼、アートコーディネート、 グラフィックなど総合的にディレクションを行う。

撮影:桑島 薫

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