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やわらかな朝 鳥の声で光に気づく 夢うつつ たのしんで カラダ起き上がる 気だるさが包んで 空の青感じさせない でも それもウタになると ココロ膨らんだよ そっと歩き出す 空に手をかざすと 陽 重なる甲に 微笑んだ そっと前を向く 広がる世界に 意味なんてつけない 受け取るだけ この頃 自分がいないみたいで 前より 確かな自分がいるんだ うん 気に入ってるんだ 優しい気持ちでいれるから oh そっと前を向く ここにある今に 意味なんてつけない 受け取るだけ
「真我があるからもう大丈夫だ。」 という表現を聴いたりすることがある。 こう聴くと、何か真我(本当の自分)という存在が 別のどこかにあって、普段のわたしとは「別」の、自分。 本当の、自分。というのが何か「別」にあって それが、いつも自分を見守ってくれているんだ〜〜 というような解釈に感じられる。 けれど実際、そのセリフを語っているのは思考で いつもの自分というのは、思考そのものなのだ。 真我があるからもう大丈夫。 と考えるのは誰だろう? そう、それは思考
いやあ〜、沖縄は春うらら〜な日です。 鳥のさえずりがずーーーっと奏でられていて 本当に穏やかで感謝が湧いてきます〜〜。 さて、本日20時、Youtubeプレミア公開です〜! 動画はこちら 至福でいることで、人生にどのようなことが反映されるのかを 天の浜と共に、お話ししています。 例えば、中国の聖賢、老子が語った「無為」とは 「何もしないこと」ではなく、 すでに幸せ(ゴール)だから、何をしても、しなくてもいい。 故に、何かする必要性はなく、何もしていないかの"
おはようございます。 いやあ〜、今日も素晴らしいですね〜〜。(何が) ということで、本日は、生放送ライブをお届けします。 今回は、なんと二回連続、ゲストに来ていただけます。 ありがたい。