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【読書記録】「地味な色」に秘められた力

赤と青とエスキース/青山美智子

今回紹介する「赤と青とエスキース」。
この本の素晴らしいところは、様々な箇所に散りばめられた仕掛けの数々である。これは他の方々も発信していることであるためあえて僕が発信することではないだろう。

そのため今回は、僕の視点から、本書を読んで気づいたこと、感じたことをまとめてみた。


色に対する無意識的イメージ

本書はタイトルにもある通り、赤と青の2色が折り重なってストーリーが紡がれていく。絵だけでなくストーリーにまで関わっている。

鮮やかで品のある憧れの色として取り上げられる「赤」。
そして美しい鳥の色である「青」。

これらがポジティブな色として話が進められる反面、その対比として登場する「茶色」や「ベージュ」などの落ち着いた色ははじめネガティブな色として登場してくる。
その対比構造がこちら。

彼は時々、ワライカワセミのものまねを突然やりだすことがあって、私はそれがあまり好きではなかった。ワライカワセミはオーストラリアにいる鳥で、美しい青色のカワセミと違ってずんぐりむっくりで茶色っぽい。その愛嬌のある体をふるわせ、ケラケラケラッっと豪快に鳴く。それが人の笑い声に似ているのだ。私にとってはなんとなく心をざわつかせる発音だった。

蓋を開けてみると、光を受けて中のものがきらっと光った。青い鳥のブローチ。飛んでいるように広げた翼には、金色の縁取りがある。
「カワセミだよ。ワライカワセミじゃなくてね。だからこんなに美しい青だし、ケラケラ笑ったりもしない。きれいな声でチチチチってささやくんだ」
「本当はカワセミでありたかった」

なんだかなぁ、、、
ワライカワセミが可哀そうになってくる(泣)

だが、この対比があることで、第一章でのこの二人の出会いが瞬間的で、より鮮やかな色として際立ってくる。
これにより第四章のストーリーでの、色の対比が活きてくるのである。
それがこちら。

青白い蛍光灯の下、顔色の悪い中年女が不機嫌そうな表情で立っている。目の下はたるみ、ほうれい線はくっきりと谷を作り、こめかみに茶色いシミが浮き出ていた。
うそだ、違う。これは私じゃない。私の知っている私じゃない、私の思っている私じゃない。私は今輝いているはずだ。

私たちはこんなふうに色を失っていくんだろうか。薄茶色の煎り豆を見ながら、ぼんやりと思う。
彼はぽりぽりと豆を食べ、からりと言った。「うまい。この豆、けっこう好き。色も上品できれいだし」「控えめで出しゃばらずに、しっかりと自分を持っているような色」
彼にはそう見えるのだ。たしかに、地味にしか思えなかったそのベージュは思い込んでいたより明るい色で、物怖じしない安心感があった。

茶色いシミからネガティブイメージを作り出す反面、後半部分はポジティブなイメージを与えてくれる。

鮮やかな色ほど一瞬で儚いものだが、地味な色ほど長い目で見たときに安心感がある。

大胆な夢ほどそこに憧れてしまうが、実際そこに到達した人はみな、思っていたほどじゃない、となりがちだ。
そうではなく、すでに手にしている、一見魅力のないものの中にこそ、価値あるものが埋もれているかもしれない

このように、我々読者に対して人生への向き合い方を、色になぞらえて暗示しているように感じられる。

私たちは色をなくしたりしない。色のない世界に私たちはいない。その時の自分が持つ色で、人生を描いていくのだ。

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