科学封建
本教浄霊(じょうれい)の効果は、現代医学とは比(くら)べものにならないほどのすばらしさであることは、近頃大分世間(せけん)に知れて来たようだが、これについて思いもつかない困ることがときどきあるので、それを書いてみよう。いかに浄霊が偉功(いこう)あるといっても、百人が百人全部治すことは無論できえないことは、常識で考えても分かるが、たまには運悪く死亡する人もあるにはある。すると普段から反対している人達は、それ見たことかといわんばかりに問題にしたがる。またこれをいいことにして、待っていましたとばかりに新聞などに出すのは誰も知る通りである。
ところがお医者の方といえば、吾々(われわれ)の知る範囲内でも、注射一本でたちまち死ぬ人や、最初から請け合いながらだんだん悪化し、ついに死んだりまた手術の失敗などで、死ぬ人の話もよく聞くが、それらに対しては誰も当たり前のことのように思って、少しも怪(あや)しんだり咎(とが)めたりする人はない。ときには近親者などで憤慨(ふんがい)のあまり、告訴(こくそ)しようなどという人もあるが、こういう問題は告訴をしてもなかなか埒(らち)が明かず、泣き寝入りになるのが落ちだと言われて、大抵は諦(あきら)めてしまうのである。
というわけで公平に見て、浄霊で失敗する数よりも、医療で失敗する数の方がどのくらい多いか知れないほどで、まず一対十といっても過言(かごん)ではあるまい。ところがこの点において医学は実に恵まれている。衆知(しゅうち)のごとく徹頭徹尾(てっとうてつび)政府の厚い保護を受けているから、結果のいかんなど問題にならず済んでしまうので、医師は思うままの治療(ちりょう)ができるのである。そこへゆくと吾々(われわれ)の方は、どんなに効果があっても精神的に治ったくらいに思われてしまうばかりか、たまたまいささかの失敗でもあったが最後、前述のごとき非難や攻撃を浴びせるのだから、医学迷信も極(きわ)まれりというべきである。勿論(もちろん)このようなことは今日(こんにち)始まったものではない、古くから沢山ある例で、まったく先駆者(せんくしゃ)としての宿命的悩みであろう。ではこの進歩した社会でもなぜそのような不合理が行われているのかを、よく考えてみるとこうであろう。
まず現代における国家的建前(たてまえ)からいうと、その基本条件を唯物(ゆいぶつ)科学に置いている以上科学以外のものはほとんど迷信として、締め出しを食わせている無定見(むていけん)さである。ところがいかに進歩した科学といっても万能ではないから、科学で解決できえないものも沢山あるに違いないのであるにもかかわらず、そのところに眼を向けないのは不思議というのほかはない。ほとんど妄信的(もうしんてき)に何もかも科学の進歩にのみ期待をかけている態度は、私がいつもいう通りまったく科学迷信の虜(とりこ)になっているからである。その迷信のためいかに大きな災害を人間に与えているか、蓋(けだ)し計(はか)るべからざるものがあろう。その最も顕著(けんちょ)なものが医学の誤謬(ごびゅう)であるが、根強い迷信はそのところに気づかず、医学を唯一(ゆいいつ)のものとしてほかにどんなに治病(ちびょう)効果があり、社会に役立つものがあっても、見向こうともしないのである。一言にしていえば、現在の日本はまったく科学封建といってもよかろう。しかしこれにも理由がないことはない。現在のごとく科学時代が生まれない以前は、ずいぶん迷信が横行し社会に害毒を与えたからで、これも歴史の示す通りであって、この弊害(へいがい)をなくす上に化学は少なからず役立ったので、いつかしら科学崇拝(すうはい)が行き過ぎ、人間の魂までも占領(せんりょう)してしまったのである。
以上のごとく科学を無上のものと信じていながらも、事実は医学では病(やまい)が治らない結果、ここに懐疑的(かいぎてき)となり、医学を棄(す)てせめて精神的でも安心を得たいとして、あらゆる既成(きせい)宗教に求めるが、これにも満足を得ずついに新宗教に目をつけ、吾々(われわれ)に来るのである。
私は科学封建と言ったが、これについて一つの例を挙げてみよう。それは終戦前の忠君愛国思想で、その当時はこれを最高道徳とされ、たまたま民主主義などを唱(とな)えようものなら、たちまち牢屋(ろうや)へブチ込まれたのは、いまも記憶に新たなるところである。この考え方と同様、今日(こんにち)の人間は科学を最高道徳のごとく崇敬しているので、吾々の説も当時の民主主義同様憎み排撃するのである。
ではこの医学と浄霊(じょうれい)との優劣を決めるには、ここに名案がある。それは効果の比較検討で、すなわち適当な方法をもって多数の病人を集め、二つに分けて実験する。その結果より治る方と治らない方とがハッキリ分かるから、治る方を国家が採用すればいいのである。これ以上公平な手段はあるまいから、この結果浄霊の方が勝つとなったら、医学は当然退陣せざるをえないであろう。その結果病無き日本となるのは勿論(もちろん)で、しかもこの事実を見た世界各国はたちまち共鳴し、その国の政府はこれを採用し、ここに病無き世界が実現するのである。それによって日本は全世界から崇敬の的(まと)となり、万人挙(ばんにんこぞ)って日本の徳を謳歌(おうか)する時代となるであろう。これこそ神が私に委任された人類救済の大使命である。
(「栄光」百四十九号 昭和二十七年三月二十六日)
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