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薬毒

前項のごとく今日(こんにち)まで、病気の浄化作用(じょうかさよう)を知らず、それを固めることのみ専念したが、固めるということは勿論(もちろん)浄化発生以前に還元させることで、本当のことが判(わか)った眼からみれば愚(ぐ)の一字に尽きるのである。勿論自然は毒素を排除(はいじょ)しようとするのを一生懸命に排除させまいとすることを治る方法と錯覚(さっかく)したのであるから全然反対であった。したがって今日までの医学は健康者にしないように一生懸命骨折(ほねお)って来たわけである。しからばどうしてそのような誤謬(ごびゅう)に陥(おちい)ったかというと、浄化は苦痛が伴(ともな)うので薬剤を使用すると、苦痛が幾分(いくぶん)か緩和(かんわ)するから、これで病気が治ると思ったのである。一言(いちごん)にしていえば、一時的効果に眩惑(げんわく)され、不知不識(しらずしらず)医の本道を踏み違え今日に至ったのであるから、薬剤を唯一(ゆいいつ)のものと思ったのも無理はなかったのである。これがため長い間薬剤本位に進んで来た医学は、真(しん)の医道ではないから治りそうで治らないため次々新薬ができる。その結果現在薬の種類の多いことは恐らく何百何千に上(のぼ)るであろう。しかもいまもって新薬の出現が絶えないのは右をよく物語っているのである。

右のごとく薬剤迷信に陥(おちい)った医学であるから、今日(こんにち)吾々(われわれ)が病気の原因が薬剤のためであることを説いてもあまりの意外にとうてい信じえられないのである。

よく言う言葉に、薬はいくら服(の)んでも注射してもさっぱり効かないとは長い病人のいつも言う言葉であるが、これを聞くごとに私はこう答えるのである。薬が効かないなどとはとんでもない間違いである。効かないものなら心配する必要はないが、実は効き過ぎるくらい効くのである。というのはよく効くのではなく悪く効くのである。すなわち薬は病気を作るからで、もし人間が薬を用(もち)いなくなれば病気は消滅してしまうであろう。とすれば人類史上これほど意外であるとともに大問題はあるまい。これによって私は薬毒(やくどく)を知らしめることが、まず人類救済(じんるいきゅうさい)の第一歩であると信じ徹底的に説くのである。

したがって、この地球上に薬というものは一つもない。全部毒である。毒によって人体を衰弱(すいじゃく)させ、浄化(じょうか)停止されるほどよく効く薬というわけである。私はいつも言うが新薬を造って金儲(かねもう)けをするのはわけはない。それは死なない程度の毒の強い薬を造ればよく効くから最も効果ありとされ、流行薬となること請(う)け合いである。以上の理によって今後といえども、なにほど新薬が出現しても真(しん)に病気を治し得るものは一つもないことを断言して憚(はばか)らないのである。近来注射が流行(はや)るが、服めば中毒を起こすほどの強烈な薬毒であるから服む薬よりよく効(き)くわけである。

そうして薬毒(やくどく)によって一時的苦痛緩和(かんわ)の結果はどうなるかというと、その薬毒は人体に残存(ざんぞん)するのである。ところが医学では副作用のある薬毒もあるにはあるが、薬毒はすべて消失するというのであるが、これほどの間違いはない。それは薬毒発見までに医学は進歩していないからである。何(なん)となれば、人体の消化機能は天与(てんよ)の食物のみに限定されており、それ以外の異物は処理されないようにできているからである。実に造化の妙(みょう)は自然の二字に尽きるので、処理されえない異物である以上、薬毒はほとんど残存する。それが時日(じじつ)を経(へ)るに従い、各局所に集溜(しゅうりゅう)し固結(こけつ)する、これがあらゆる病原となるのである。

なによりも医療を受けるほど病気は殖(ふ)え次第に悪化するにみて明らかである。また余病発生ということもそのためである。すなわち一の病気を治そうとして二となり、三となるというように病気が殖えるのは、医家(いか)も常(つね)に経験するところであろう。もし真(しん)に薬剤で治るとしたら三の病(やまい)が二となり一となり零(ゼロ)となるべき順序ではないか。この判(わか)り切ったことにいままで気がつかなかったことは実に不思議というべきである。

右の理によって罹病(りびょう)するや、放任しておけば大抵は治るものである。もし容易に治らないのは薬毒多量のためであるから、そのような場合気長にすれば漸次(ぜんじ)治癒(ちゆ)に向かうのは当然である。ところがその理を知らない医学は、人為的(じんいてき)に治そうと骨を折れば折るほど逆効果となり、漸次重体に陥(おちい)り死にまで至るのである。

嗚呼(ああ)、医学の誤謬(ごびゅう)たるや何と評すべきか言葉はないのである。今日(こんにち)まで数千年間この理を知らなかったため何(なん)億の人間が犠牲になったかは計(はか)り知れないであろう。しかるに私がこの発見をしたということは、時期到って神が人類救済のため、私を通じて公開されたのである。ということはいよいよ人類の理想である病(やまい)無き世界がここに実現するのである。

(「自観叢書」第十篇 昭和二十五年四月二十日)


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