僕の野球チームの監督はゲッツーしかルールを知りませんでした。
注意・ここに書いてある内容はたりないふたり春夏秋冬 秋のネタバレが含まれています。
また感想はあくまで山里さんを尊敬している人間側の視点で書いています。
たりないふたり秋を見て。
この放送が始まる前にずっと山里さんがラジオで色々と不安めいた事を吐露していたので
一体どんな深刻な内容なのだろうと思い、正直後半部分は恐る恐る見ている感じがありました。
内容としては前半部分は山里さんが若林さんを前に過去のたりないふたりを振り返るというカタチで
ある意味「天才になりたい たりないふたりver」みたいな構成というかプレゼンという感じでした。
後半はそれを踏まえて若林さんのターンというか反撃というか、山里さんの分析にたいして若林さんがそのときそのとき思っていた事、いわば回答をしていくカタチがメインとい感じ。
この回のメインといか軸として山里さんはふたりの関係性、そこをあえて上か下かという表現で進めていました。
最初は自分が上だったけれど、いつしか若林さんが遥か上を行ってしまった。
最近は少し関係性も距離がある気がする、せめて対等な立ち位置でもう一度原点回帰して冬に漫才をしたい。
こんな感じだったと思います。
でも若林さん的にはそもそも上とか下とかではなく、最初から別ジャンルの敵わない人として見ていたという答えが返って来て。
そのあとくらいに「山ちゃんは自分の話しかしない、少年野球の監督になって優勝目指す事が今一番必要」とおっしゃってました。
若林さんもエンディングで触れていたけど
山里さんが今回放送前に言っていたポイントというのがそこだったのではと思いました。
これについて言うと
その前に山里さんが言っていた「劣等感を感じなくしてくれる漫才をしてくれる人に劣等感を持ってしまった事が気持ち悪い」という言葉に対してのある意味若林さんの答えだったんじゃないかなと思う。
山里亮太という人は努力の天才。
嫉妬や劣等感を元来、燃料として人並外れたストイックさで今の位置があると言っても過言ではないと思う。
常に稽古を怠らず、戦に備え、武器を磨き、戦略を練り、鎧を着込み、周囲の敵をいつでも迎え撃てるようにする。
武将ならそんなタイプだと思うんです。
しかし、そんな部分にも唯一弱点がある。
それは、いざ天下が太平されても戦い続けようとしてしまうところ。
戦国時代から江戸時代、幕末から明治へ変わったとき
幕府や政府から一番最初に淘汰されていったのは武闘派でした。
要するに平和な時代にはその時代に合った生き方に適応する事が一番に求められたという事です。
これを山里さんに当てはめると
既にMCという立ち位置で芸人さんとしてある程度の地位を築いている、いわば太平の世を築いている所に今たどりついているけど
山里さんの元来のストイックさから未だに自分の向上心から更なる高みを求めて戦っているみたいな感じだと思います。
でもそれは本来そういう位置や立場にいる人に求められる生き方ではなくて
少年野球のくだりで例えていたように
指揮官として色んな立場の人に目を配って、時にはノウハウを教え、時には見守っていく事が求められているよっていう話を若林さんは言っていたのではないかなと感じました。
つまり「自分の話しかしない」は山里さんが自分とライバルの誰かを常に分析して己をどうやったら更に高められるかを追い求めすぎているという事を指摘したかったのではないかと思いました。
以前もラジオで自分が弟子を持ったら…みたいな話を山里さんはしていたけれど
わりとそれって、少年野球チームの監督のくだりと似たものがあるなと思います。
刀を置いて竹刀を持って戦場にではなく道場に立つ。
そこでの変化がたりたいふたりの次のステージへのカギなのかもしれないと感じました。
というのは全て僕の考察で妄想なんで本当に若林さんがそう思ってて山里さんがそうなのかは分からないんですけどね。
ゲッツーしかルールは知らないけど
村田兆治並みに要求してくるプレーの質は高そうだけるはど
僕はいつか山里監督の野球チームのメンバーになりたいなと思いました。
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