じいちゃん
このnoteを書いたのは自分の今の気持ちをまとめるため。
公開したのは色んな人に見てもらって今の気持ちを消化したいのと
色んな人に僕のじいちゃんという人間を知ってもらう事で少しでも生きた証を残したいから。
4月19日、僕のじいちゃんが死んだ。
もうすぐ85歳だった。
85歳ならと思うかもしれないけれど
僕から見たらまだまだあと10年は確実に元気だろうなと、そう思えるほど生き生きしていたじいちゃんだった。
だからこそ今でも僕はじいちゃんが死んだということを心のどこかで信じられずにいる。
正直涙も出なかった。
そこまで悲しくもなかった。
だってまだじいちゃんが生きているような感覚でいるのだから。
それだけじいちゃんの死はいきなりだった。
朝、まだ寝るばあちゃんを残して1人タコ漁に出たじいちゃん。
歳も歳だから今年でタコ漁は引退するつもりでいた。
その日じいちゃんは張り切っていた。
前日大きなタコを取り逃していたからだ。
その日はそんな前日のリベンジを果たすかのように大きなタコを2杯もとっていた。
そしてポイントを変え移動したところでアクシデントがあった。
あくまで状況を見ての予想だが磯舟のスクリューにロープが絡まった。
じいちゃんはそれを取ろうとしたと思う。
しかしロープがてに絡まったままスクリューが巻きじいちゃんは海に投げ出された。
4月とはいえ水温は一桁、冬並みの温度。
しっかり者なじいちゃんだから合羽やライフジャケットはちゃんと着込んでいた。
でも85歳の身体、ロープが絡まった状態で身動きが取れなかったのだろう。
近くの船が見つけた頃にはじいちゃんは息をしていなかった。
必死や救護を受けたけど結果は残念ながらダメだった。
どんなに元気でもいなくなるときはあっという間だ。
じいちゃんの死を受け止められないまま、準備をするためじいちゃんの家に行った。
冷蔵庫を開けるとイカの刺身が2皿あった。
じいちゃんがばあちゃんと夕飯に食べるために朝漁に出る前に作ったものだった。
ばあちゃんが軽い脳梗塞になってからというもの
家事は全てじいちゃんがやっていた。
最初は慣れない事ばかりだったけど几帳面なじいちゃんは徐々にこなして行き、最近では料理をするのが楽しみになっていた。
だから、じいちゃんの家の冷蔵庫にはじいちゃんが今朝まで元気に生きていた跡がそのまま残っていた。
じいちゃんはしっかり者で几帳面で優しくて面倒見がいい、だけど短気でガンコで怒りん坊だったから僕や母によく怒られていた。
じいちゃんはめちゃくちゃ甘党だった。
例を出すと缶詰めのシロップをごはんにかけて食べるくらい、おはぎでオカズを食べるくらい甘党だった。
あと肉や洋食も好きだった。
ハンバーグなんかが好きで外食ではよく食べていた。
肉を食べる老人だからたぶんまだまだ長生きするだろうなぁなんて父と言っていたくらいだ。
運転免許もこの間更新したばかりだった。
ゴールド免許、反射検査も全く問題なしだった。
じいちゃんは孫思いだった。
僕が毎年年末年始に東京に行く前、その年最後の挨拶をしるために行くと「旅行にいくなら持っていけ」とポケットマネーからまぁまぁな額のお小遣いをくれた。
帰りのお土産選びは何よりもじいちゃんへのお土産が最優先だった。
もしもじいちゃんが死んだあの日の朝に戻れるなら
じいちゃんがタコ漁に行くのを止めたのに
そんな叶いもしない事を考える。
じいちゃんがずっと言っていた
死んだら海に灰を巻いてほしい。
これをする事が今のところの僕に出来る事。
あとは何もしてあげられなかった。
わがままな孫だったから。
じいちゃんが言っていたらしい。
「ひ孫の顔を見るまで死ねない」と。
じいちゃんごめんなさい。
ひ孫見せられなかった。
お嫁さんも見せれなかった。
こんな孫でごめんなさい。
もし仮にいつか僕にひ孫が出来たなら
必ずじいちゃんに報告したい。
間に合わなくてごめんって言いたい。
たぶん今もどこかにいるような気がしているけど
化けて出るなら早く出てきてほしいなと毎日思っている。
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