新卒1年目で会社を辞めた僕の心から湧き上がる願いについて
2020年1月10日付けで、昨年4月に入社した大手人材系会社を退職した。次にやるべき事は決まっていないし、気持ちの整理が完全についたかと言われると嘘になる。心に負った傷や精神的なダメージは、無意識下でかなり深く刻み込まれている気もする。
昨日、病気が進行するおじいちゃんの介護の必要性もあって、祖父母が46年過ごした家から、駅近くのマンションへの引っ越しを手伝った。46年。そこにはどんな願いや、想いが、つまっていたのだろう。
おじいちゃんは呆けが進行していて、中々まともに喋れない。段ボールの中から見つけ出した明治大学の卒業アルバムを見せながら、おじいちゃんに話しかけた。アルバムの編集実行委員をやっていた事はどうやら憶えているようだが、アルバムの写真は目が悪くてうまく見れないらしい。おじいちゃんは、俺が知っている頃とは別人のように弱っていることを改めて実感した。おじいちゃんが元気なころに、もっと色んな事を伝えてあげれば良かったし、話を興味を持って聴いてあげればよかったと、もう取返しのつかない後悔に襲われた。いつだって大切なことに気付くのは、失った後だ。
引っ越しの片づけは、母方の三姉妹と、いとこと僕の妹との4人で手分けして行った。久しぶりに黙々と行う仕事は、無職の自分には楽しかった。自分が誰かのためになっていることを感じられた。食器の事や細かい物の配置など、自分には分からない事がたくさんあって、無知さを恥じると共に、勉強になった。
従妹と妹と僕は小さいころから4人で良く遊ばせてもらっていた。その写真がいっぱいあった。家の中を冒険したり、滑り台を創ったり、庭の簡易プールで水浴びしたり、林の中でセミを捕まえたり、川でバーベキューしたり、メダカやドジョウを捕まえたり、大きな公園に行って遊具でたくさん遊んだり。自然に触れながら、仲の良い親戚と遊びながら、大好きな母やおばや祖父母に見守られながら。ああ、こんなにも自分は愛されて育まれてきたんだなと。
家に帰って、母や父の横顔をちゃんと見た。写真に写る2人の姿とは違って、しわやシミが増えた顔だった。ああ、俺は何にも見ていなかった。自分だけの事でただただ必死だった。俺は俺の事ばっかりだ。こんなにも自分に愛を注いでくれてきた人たちがここにいて、その人たちを大切に出来ずに何がボランティアだ、NPOだ、キャリア教育だ。
俺が大切にしたかったのは、きっとこうやって子どもがはぐくまれる事なんだ。辛い事もシンドい事も家族で支え合って乗り越えて、楽しかったり嬉しかったりして、日々を味わいながら生きていく。愛を受けて見守られて、自分の気持ちを尊重して生きていくこと。自分が持つ優しさも、世の中への憤りも、自分1人で持ったものじゃない。そうやって育んでもらえたから生まれたgiftなんだ。そんなとても大切な、当たり前なことを、愚かな俺は仕事を辞めて初めて気づいた。「日常のささいな幸せは当たり前じゃない」と、そうやって丁寧に日々を過ごす彼女の存在が、自分にとってとても大切な理由がやっとわかった。
世の中は厳しい。残酷で無残で苦しい事も多い。達成感や高揚感があることはそんなに多くないかもしれない。けど、家に帰ったら家族に会えるから、頑張れる。踏ん張れる。話を聴いてもらえて、他ならぬ自分の想いを受けとめてもらえるから。
でも、大人になっていくに連れて、子どもは親の理解を越えた場所に行きはじめる。それを親は理解出来ないかもしれない。子どもは寂しさを抱えるのかもしれない。だってそれは、年齢が離れているから仕方のない事。生きてきた時代も、価値観もまるで違うんだから。いつの時代だって、親たちの世代を乗り越えて未来をつくっていくのは若者の仕事なんだから。
だからこそ俺のやるべきことは、未来をつくる子どもたちが、自分の想いを大切に挑戦し続けられる社会をつくること。そんな環境を、確実に、丁寧につくっていくこと。それでしかないし、それをする事が自分の人生を生きる事なんだ。
何をするべきかはもうほとんど見えつつある。あとは覚悟を決めて、やるだけだ。
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