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断言します←これ

断言します。
「断言します」って言ってるアカウントとは距離を取った方がいい。

しょっぱなから様式美的な自己矛盾をしてしまったがSNSで「断言します」から始まる投稿をするアカウントは結構多い。
そしてその多くはたいてい怪しかったり怪しくなかったりする何かを紹介する目的を持っている。
まあいわゆるセールスライティングの一手法なのだろう。

なぜ断言するのか

「断言します」で始まる投稿がなぜ多くの人を惹きつけるのか?
(もちろん反発する人もいます。でも手法として確立されていることは確かです)
単純に「何かを強く言い切る人は頼もしいから」ではないだろうか。

人は常に何かに迷い何かに悩んでいる。
そんな時頼りになるのは自分よりも詳しい人の助言だ。
何かを断言する人はその分野について詳しいように見える。(その分野についてあまり詳しくない人から見れば)
そして迷いなく断言できる人は確固たる己の信念を持っているように見える。
生物の生存本能に組み込まれた潜在意識の中には「強いリーダーに従っていれば生き延びる確率が上がる」といった思想が含まれている。
とにかくこの人のいうことを信じれば大丈夫だ、というものに人は弱い。

断言する人を信じてはいけない理由

しかし待って欲しい。
他者を率いて先頭を走るリーダー像も立派だが、時に慎重な考えも必要だ。
丁寧に思考し、他者の意見に耳を傾け、自分の意見は絶対ではないものだと断りを入れるようなそういう態度。そちらの方が長い目で見れば生存確率を上げそうではないだろうか。
確かに前述の「強いリーダー像」の方が目立つし印象的かもしれないが、そういったリーダーとその旗のもと率いられた人たちの中にはたくさんの失敗者たちがいたはずだ。
いわゆる生存者バイアスで成功者の姿だけが良く見えているのではなかろうか。

学問的には何かを断言することは誠実な態度ではない。
大学時代、哲学の徒であったぼくの精神的態度は懐疑主義を貫いている。
証拠のないものに対して仮定はすれど断定はしまいという学問的態度のことだ。

塾講師として働いているが、人気が出るのは断定的に言い切ることができる講師だったりする。ぼくのような煮え切らない返答をするものはちょっと敬遠されることもある。(でも頭のいい生徒は意外とそのあたりのことをよくわかってくれてたりするようです)

生徒から数学的な問題について「この時って、この条件が成り立ちますか? 絶対ですか?」なんて尋ねられたりするとぼくは迷いながらこう答えることが多い。
「試してみてごらん」
そうだよ、と断言することは簡単だ。
定義や定理などを使ってそのことを証明して見せることも場合によっては難しくない。
だが学問と教育に誠実に向き合うならば「自分の力で思考し試行する」という経験を重ねてもらう方が真摯な態度となろう。

自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の頭で考えることができる人は「断言します」なんて薄っぺらい言葉にはだまされないものだ。

※一応補足。
「断言します」系のアカウントがすべて無益なわけではありません。
単なるマーケティングの一手法にすぎず、売りたい商品を多くの人に届けるためにその手法を採用しているだけです。
世の中には良質な商品なのにそれを求める人のもとに届かないなんてことはザラなので広告の役割はとても大きなものです。
自分の頭でよく考えてちゃんと判断することができればそういったアカウントも客と商品とをめぐり合わせる良き仲人となりましょう。

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