ARについて思う話

 こんにちはこんばんは。
 雪でも散歩で暇をつぶす系ひいらぎです。

 一応最初に書きますが、ARと題してますが全然技術とかそんな話1ミリもでてきません。ギークとは真反対な脊髄反射系生物が書いてますすいません。

 早速脱線ですが、最近寒いのでブッシュクラフトの動画やらを見ています。
 別に暖まるわけでもないですが、今年の個人テーマは原点のブラッシュアップ。

 原点回帰でもいいんですが、回帰ってわざわざ後退してるイメージを持ってしまってて、いや、原点は大事だけど、原点をさらに磨けばええやん。と思ったのでブラッシュアップという今年も捻くれ絶好調です。

 とりあえず「火の扱いの上達」という人類としての原点ブラッシュアップと。
 釣り好きの原点としてフライに昔すごいハマったんで、それのブラッシュアップですね。 東北に住んでるということで渓流はこれ以上ないほど恵まれてまして、去年はエサとルアーで大方釣りまくったのでフライと時々テンカラで遊びまくります。

 原点ってわけじゃないですが、ブログとか書きものも。
 もともと仕事とかで結構書いてたんですが、基本釣り行ったから書く。というわけで、ノルマ決めたり定期的だったわけじゃないんですね。釣りに行きまくってたんで毎日な時期もあるんですが…。

 私としては書くことはかけるけど、基本トリガーがいる。という自覚ですが、今年は多少不定期でも一定の間隔内であげるようにこう…ノルマ未満の何かみたいに…
 いや、この件はもういいや。本題にいきましょう

 今回も思想というかぼんやり暇つぶしの考え事を垂れ流しです。
 結論的な結論みたいなのもないんで、まぁカワウソ観察日記みたいなものでひとつ。

1.ARのはなし
 1ー1.ARってなんだろう

 結構最近ARだのVRだの、昔はSF作品くらいでチラホラ見てた単語が、最近ではかなり現実的なものとして世に出てきてますね。

 「AR」とはなんぞやというと、基本的な意味は「Augmented Reality」と「拡張現実」つまり現実空間にあれこれ情報を付与したりする情報技術として呼称されています。

 絵を描く人ならすぐピンとくるかもですが、現実空間に情報をレイヤーとして付与する感じです。

 本来なら例えば道を目視すれば、光学情報としての道が目に飛び込んできて認識となるわけですが、ARによってその間にレイヤーを設けることによって、道案内だったりなんらかの広告や看板を表示したりと、現代ではそう行った視覚情報をより充実させるような用途を目指しての技術開発をよく目にしていますね。

 スマホが普及していったころ、セカイカメラというアプリがその先駆けではないでしょうか、比較的最近であればPokémon GoがARという言葉を身近に持ってきてくれたのではないかなと。より近未来に触れられる技術として意識させるきっかけじゃないかななんて。

 早いところARグラスを作って欲しいもんです。

 1ー2.技術ではない「AR」を思う

 さってさて、ここからがかわうそ夢想の本題です。

 ARっというのは本来は技術的な用語なわけなんですけど、私としては「AR」という考え方がとっても面白いなぁと感じてきたのです。

 

 たとえ話です。

 あなたがふと目を向けると、白い空間に赤く丸い何かが見えました。

 りんごかもしれませんね? ただの赤い球と思うかもしれません。 ビリヤードの球? 白に赤い丸で日本の国旗かもしれません。 ブラッドムーンでしょうか。 太陽のアート? それとも一滴の血ですかね。

 ただの赤い球体があるだけで、人は目視で得られる光学情報はそれだけのはずなんです。 
 けど人はそれぞれの嗜好や経験からそれ以上の何かを自分自身の中で溢れさせていくことがあります。できます。

 目で見ただけの何かから、それ以上の情報を重ねて見る。
 これってとっても「AR」じゃないでしょうか?

  「世界は見たままのものとは限らない」というのは私の大好きなゲームの言葉ですが、このAR的な思考を持ってみると、色んなことが楽しく見、感じられるようになってきたのです。

 1ー3.AR的な考えという遊び

 例えばあなたの住んでいる町。いかがでしょう。

 どんな地形をしてるでしょう。道の張り巡らされ方や、建物の位置。

  結構「理にかなった」から今の形になった。ってのが多いのです。
 ここはかつての商業の要所だった。ここは○○街道があって人の往来が盛んだった。 実は昔古戦場だった。

 そこになんで祠があるのか、お地蔵さんは馬頭観音が多かったり、○○系神社が多かったり、すごい街には面白い何かが隠れています。

 昔からあるもので理由もなく突っ立ってるものはそうそうありません。その物や街には必ず「歴史」というレイヤーが何層も重なって現代に続いています。

 街をちょっと散歩して見ると、結構変なもので溢れています。 

 よく見ると手すりやらガードレールに変な生き物や一定の物が統一感を持って設置されたりしてませんか? 街灯やらが凝った装飾をつけられてませんか?

 普段目に入っても止まらないようなありふれた何かに、実はものすごい情報が積み重なって「そうあっている」かもしれません。

 私はそんな感じで散歩とか写真で遊びながら、歴史というには学が足りないARな夢想で遊んでいます。

 1ー4.ARについてのまとまらないまとめ

 「世界は誰かの仕事でできている」 某缶コーヒーのCMですが、いやほんと素晴らしいことを言うなと感心します。

 工事現場のタイムラプス動画を見たことはないでしょうか? 早送りにしてもものすごい速さで人、物が動いて橋やら道やら建物を造っていく様が見れる動画ですが、こういうところもARだな。なんて。 普段当たり前に享受できているインフラの完備された便利な日本です。

  でもその当たり前を提供、維持してもらえる今には、ものすごい目に見えない労力が注ぎ込まれています。

 蛇口を捻って出てくる水のその一瞬に、蛇口を作る人、配管を整備する人、水を浄化管理する人と長くなるんでものすごい省きましたが、蛇口ひねって水を出すそれだけの現実に、ものすごい数の仕事というレイヤーが重なっているわけですね。
  前述の橋やら道を作るにしても、いくつもの仕事や、その仕事に取り掛かるまでの段取りというレイヤーも含めると、いや本当、現実を拡張するんじゃなくて、圧縮でもしてないと人には認識が追いつかないような情報が、現実には秘められてるんだなぁなんて思ったりなんだり。

 何気ない生活、何気ない一瞬。

  忙しい毎日をみなさまお過ごしであろうかと思います。
 普段はいいと思うんです。

 でもまぁちょっとした時とか、ちょっとした日とか、ありふれた全てを今一度見つめなおして貰えると、秘められた現実を構成するレイヤーが、ちらりちらりと見えたなら、いつもとは違うARな世界にちょっと浸って楽しめる時もあるんじゃないかなぁなんて。

 今日もそんな感じで一つ。

 お相手はひいらぎでした

ひいらぎ

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