「父を想う」のそのあとに。

初めて書いた長文。 そして、初めて開いたオンライン上に投稿させてもらった文章でした。 

これまで、何かを書いて表現する事とは無縁の人生だと思っていました。                                                            書いてどうする。書くってなんだろう。 何で人は自分の思いを書いて、世の中に表現したくてたまらなくなるんだろう。 自分の心の中の事じゃないか。伝えるにしても、「話す」事ではすまないのかな。 そんな思いをどっかでもっていました。                                                     けど書きました。 書かないと先に進めないと切実に感じました。 そして誰かに伝えたかった。        そして「書く事」で繋がっている、この「note」に投稿させていただきました。 

ずーーっとキャリーオーバーしていたこの文章を、日曜深夜にやっとの事で書き上げ、投稿したところでばたりと倒れ。 結果、1週間のスタートである月曜朝から、このヘビーな文章をお披露目してしまいました。           note上の名前も変なアドレスの一部のままだし、プロフィールすら何も書いていない、このあやしい投稿。      読んで下さった皆様に感謝します。 「いいね」をしてくださった皆様、さらに深く感謝しいたます。

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 家族の事を書きます。                                                   母の事を、あまり書けていませんでした。                    母はいつも朗らかで前向きで、歌う事が好きで、そしてとても天然な人です。父の事がとても好きで、父と出会って「この人!」と思い、母から積極的にアプローチしたそうです。

 母は、父が癌になってからの数年間は、記憶が断片的にしかないそうです。父が亡くなった直後は、喪主としての仕事に追われて悲しむひまもない様でしたが、父がお葬式で火葬される時は、「燃える音を聞きたくない」と、斎場の隅っこで耳を塞ぎ小さくなっていました。 あんまりな現実に、心をシャットダウンしないときっと壊れてしまったのだと思います。 

 「何もできなかった」という傷は、母の方こそ、より深いものだったと思います。文字通り、抜け殻の様になっていました。 伴侶を亡くしたという事実。1人残されてしまったという現実。母はどうやって乗り越えたのだろう。 別に乗り越えてなんていないんだろうか。     私は自分の心の傷にかまけていて、母の悲しみを受け止め、支えられた記憶がありません。 

 父の死後10年ほどたった時。今度は母に癌が見つかりました。胃癌でした。比較的初期に発見できたので、胃の3/4を切除し、その後は再発せずに過ごせています。 とはいえ手術や投薬、その後の生活の変化も含めて決して楽ではありません。母は何かにつけ「死ぬのは別に怖くないのよ。お父さんに会えると思うし。」とつぶやいていました。そう違和感なくつぶやける、母の普段の心のあり様は、いったいどんなふうだったのでしょうか。 

 そんな母も、今は認知症をもつ身となり、数分前の事すら記憶にとどめていられません。 その場での会話のやりとりは、身体に染み付いた反射的な反応としてできますが、母にとっての「世界」は、常に外界ではなく自分の心の中にあります。                                                        そんな中でも、父の話になると、「お父さんはかわいそうだったねえ…」と涙ぐみます。 

私が自分を許した様に、母も自分を許してあげてほしい。お母さんは本当によくやったんだよ、充分だよ、と伝えたい。 けど伝えたとしても、それは母の頭の中からさらさらと流れていってしまいます。何かしら跡を残したのかどうかもわからずに。            日々、「今この瞬間」を生きている母。その日々を少しでも笑顔で過ごせる様、優しい感触を残せる様、会うたび伝え続けたいと思っています。 

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 今、私が感じていること。                                            もし、今も血を流している人がいたとしたら、伝えたいこと。 

 あなたは自分を責めなくていい。 何かが出来なかったと思っても、何も出来なかったと思っても。                 あなたは「いる」だけでよかった。 あなたの大切な人が、「いる」だけでよかった様に。 

 亡くなる時に、様々な痛みや苦しみがあったとしても、それはその時だけの通過儀礼。 もうその人は、重い肉体をぬいで自由になっている。                                          そして、亡くなる時にあったかもしれない様々なエピソードは、何らその人の存在をそこなうものではない。 一切ない。                     その人は素晴らしい人。                                                 安心して思い出していい。             笑顔で、優しい気持ちで思い出してほしい。

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 最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。   

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