イトーヨーカドーがあった街

わが街のイトーヨーカドーが先月閉店した。
1978年にオープンしてから42年目だったらしい。
僕と同じ歳だ。

長野市の権堂という繁華街にあったヨーカドー、
普段車に乗っていない僕は経営するクレープ屋の
材料買い足しにたびたび利用していた。
年末になると地下の蕎麦屋に
妻と年越し蕎麦を食べに行くのがお決まりだった。
息子が生まれてからはよくバスに乗って出掛けた。
息子と最上階のゲームコーナーで遊んで
ポッポというフードコーナーか、ファミールというファミレスもどきで
ご飯を食べて帰るというのが定番コースだ。

郊外のショッピングモールと違って
この街のヨーカドーは近隣から来る年配者が多く
どこかアンニュイというか間延びしたような空気が流れていて
何処もいく当てがない休日に子供を連れて行くのににちょうどいい。

昨年のある日、子供を連れておもちゃ売り場を徘徊していると
突然店内のスピーカーから雷鳴と雨の音が響き渡った。
カスケーズの『悲しき雨音』だ。

店内からは外が見えないのだけど雨が降り出したことがわかる。
この曲は従業員に外で雨が降ってきたことを知らせる連絡用BGMなのだ。
なぜか僕は心がざわざわしてしまった。
四半世紀前にタイムスリップしたかのような不思議な気持ちになった。

1995年、世間がオウム事件で大騒ぎしていた頃
僕は地元群馬のイトーヨーカドーでアルバイトを始めた。
当時のヨーカドーはとても活気があって社員もバイトもみな生き生きと働いていて
毎日バイトに行くのが楽しみで仕方なかった。
仕事帰りには4つ年上の社員さんがよく遊びに連れて行ってくれて
田舎者の高校生だった僕に良いことも悪いことも教えてくれた。
結局学業そっちのけで4年間アルバイトを続け
学生生活の思い出のかなりの割合をヨーカドーが占めている。
一緒にライブハウスに通った同級生のパンクス君、
休憩時間に「ヤニーズ事務所」と呼ばれていた喫煙所に誘ってくれたお兄さん、
そして密かに片思いだった年上のお姉さん、
みんなどうしているんだろうか?
その群馬のヨーカドーも10年前に閉店してしまって今は無い。

思えば今でもヨーカドーの店内BGMは当時と同じものが使われている。
レジが混雑したときの応援要請はビートルズの『HELP』だし何百回と聞いたであろう開店時のBGMだって変わっていなかった。


閉店時のこの曲を店内で聞いたら涙してしまうだろう。


BGMだけじゃない。
スタッフの制服だって買い物カゴのデザインだって何一つ変わっていない。
権堂のヨーカドーに行く度に感じるセンチメンタルは
もう二度と戻ることのできない学生時代を思い起こしていたのだと気づいた。

ショッピングモールのような華やかさもなく
四半世紀の間、何も変わっていないように見えるイトーヨーカドーは
僕と同じ時代遅れのおじさんになってしまったようだ。
全国の店舗が次々と閉店してしまうのは時代の流れなのかも知れない。

コロナウイルスによる緊急事態宣言が開けた6月初め、
家族3人でヨーカドーに出掛けた。
たくさんの人がお別れに訪れていた。
この街に暮らす人は皆それぞれの思い出があるのだろう。
5歳の息子が大好きだった最上階のゲームコーナーは
一足先に閉店していた。
それでも最後のお別れができてよかった。
イトーヨーカドーがあった街に暮らせて幸せだった。

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