見出し画像

not 中国人

重たいまぶたを開けると、時計の針は8時30分を指していた。

僕は布団から飛び起きた。9時までに大学に行ってレポートを提出しないと単位を落とすからだ。家から大学までは電車で40分かかる。


急いでコンタクトをはめ、ほとんど寝間着のまま家を飛び出した。電車は無論、自転車でも間に合わないと思い、大通りに出てタクシーを探す。だが、タクシードライバーは寝間着姿の若者に優しくなかった。

人目をはばからず左右に大きく手を振っていると三台目がようやく止まってくれた。ドアが開いたと同時に車に乗り込んだ。

運転手に「〇〇大学までお願いします」と伝えたかったのだが、ぼくはこういう時に限って言葉がのどにつっかえてスムーズに言えない。

結局、伝わるまで10秒ほどかかってしまった。恥ずかしさで顔を赤らめ下を向いていたら、運転手が「中国人?」と尋ねてきた。一瞬驚いたが、日本人なのに日本語をちゃんと話せないなんて変だなと思われたくなくて、とっさに頷いてしまった。

運転手は車を出しながら、「日本に来て何年?」と続けた。面倒なことになったと思いながら、「二年です」と、留学生の段君を思い出してできる限りの中国人節で答えた。

運転手は「日本語難しいでしょ」と言ってきたので、表情筋を総動員して愛想笑いをしながら頷いた。

そして続け様に、「中国のどこ出身なの?」と尋ねてきた。少し面くらって余裕のないぼくの頭に思い浮かんだのは、北京と上海。

「北京です」と答えると、「北京か、上海なら旅行したことがあるんだけどね」と返ってきた。上海を選んでたら危ないとこだった。

到着するまでずっと中国人のコントをするのはさすがにしんどいと思い、仰々しくイヤホンを付け、異常なほど体を揺らしながらミスチルを聞いた。

運転手は鏡越しに僕を見たのか、しゃべるのをやめてくれたので、助かったと思いしばらくレポートの文章を確認していた。


数分後、頭を上げて前を見ると、車はぼくの知らない道を走っている。

慌ててマップで調べてみると、めちゃくちゃ遠回りをされていた。後ろから首を絞めてやろうかと思うくらい頭にきたが、グッとこらえて「そこを左に曲がるルートで急いで行ってもらえますか」と伝えた。

コントの設定を完全に忘れていたことに気付いたが、このままだと間に合わないかもしれないことで頭がいっぱいだった。


それから間に合ってくれと祈りながら、マップと時計を交互に見ていたのだが…

結局間に合わなかった。

単位を落としたことや、来年一年生と授業を受けないといけないことに落胆していたら、大学の門の前で車が止まった。

何の意味もなかった移動に3000円を支払う。むすっとした表情を浮かべ、のそのそと車外へ出ようとしていると、運転手が満面の笑みを浮かべながら、「謝謝」と言ってきた。

いい加減にしろ。
どうもありがとうございました。

本をたくさん買いたい