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国境の町チェンセーン、ボケオ

 ゴールデントライアングルからチェンセーンに向かうと、そこには出国のためのチェックポイントがある。ここから船で対岸のラオスへ渡ることができる。船は、屋形船を小さく細長くしたような形状で、エンジンは車用の4気筒1600ccのものが搭載されていた。二十歳前後の頃、AE86やEG6の改造本を読み漁って、自宅にAW11があった自分にとっては懐かしく、ちょっとした知識があるエンジンで、なんか親近感を覚える。

 5分ほどの時間でラオスに到着、到着してすぐに違和感を感じた。数年前から度々訪れてるボケオ地区だが、急激にその姿を変えようとしていた。中国の経済特区となり、ラオスのその町は中国になっていた。

 ミャンマー側でもそうだったが、国境の町は双方の紙幣が使えることが多い、しかし、この地域では人民元しか使えない。そして言葉も中国語だ。商店では英語も通用しない。そして、愛想も悪い気がする。商売相手にならないと思ったからか??しかし、自分らが人民元を持ってると知るや、愛想良くなった。満面の笑みでオッケーマークを出してくる。

 開発は急ピッチで進められてるようで、大型のトラックが往来する。この付近には似つかわしくない高層ビル群の建設も進められている。豪華な高級住宅地もあり、走ってる車はベントレーなどの高級車だ。
自転車で走ってると、時折、集合住宅を目にする。おそらく工事従事者のための仮設住宅で、そこにはラオス人らしき家族の姿も見える。お世辞にも裕福とはいえず、良い表現とは言えないが、バラック小屋のようだ。
地元の人が使う市場もある、タイ語が通じ、価格も安く、タイバーツが使えると知った時にはなぜかホッとした気持ちになった。しかし、その市場のすぐ裏は巨大なゴミ捨て場になっていた。市場全体から漂う匂いもなんとも言えない。

 一帯一路の問題点が最近浮き彫りになってきてるが、もしかしたらこんなところもにも影響があるのかもしれない。

 ボケオから65km、バイ・フアイサーイという町はまだラオスっぽさの残る町だと思う、フランス植民地支配の名残で、フランスパンやサンドイッチが売られる町には、タイ側への橋があり、チェンコンというタイの町へ行ける。今回は時間がなく、タイ側への帰国は船を使ったが、時間に余裕がある場合は、橋を渡ってタイ側へ帰ってくるのも面白いと思う。

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