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ユベントス'90s

セリエAが世界最強リーグと呼ばれていた1990年代。ユーべとそれを取り巻くライバルたちについて振り返るシリーズ第6弾。アッズーリのいないワールドカップなんて…という方の為にあの頃のアッズーリ特集。

Part6. アッズーリ'90s〜ワールドカップ編〜

はい、お久しぶりの'90sです。ワールドカップですね、開幕まで1週間切っちゃいましたね。なんなんでしょう、このテンションの上がらなさ。そらそうですよね、ヨーロッパチャンピオンの出ない大会なんて…ねえ?
という心の隙間を埋めるために、1990年代に行われたワールドカップのアッズーリを振り返ってみましょう。

1990 イタリア大会

地元開催、NHKで初の全戦中継が始まった大会。あのカラフルな開会式と意味不明なマスコットが忘れられませんね。
この大会のイタリアは、いかにもイタリアらしい4-4-2をベースにした堅守速攻のチームでした。
エースストライカー不在と言われたこの大会、GL初戦のオーストリア戦に途中出場し、決勝ゴールを決めたスキラッチがまさに「サルバトーレ」になりました。
3位決定戦のPKまで決めに決めたり6ゴールで、無名のストライカーは一気に得点王に登りつめました。とにかくポジショニングとシュート技術が神がかってましたね。何故かゴール前の絶好の位置でスキラッチの前にボールが転がってくる。それを正確に決めきるこの大会の彼は(このときだけ)ワールドクラスでした。
そして、イタリアと言えばカテナッチョ。準決勝でマラドーナにゴールを許すまでなんと517分無失点という守備の堅さは、ゼンガ、ベルゴミ、バレージを中心とした守備陣の賜物でした。ロベルト・バッジョのアイルランド戦でのらしいゴールも忘れられない記憶です。

1994 アメリカ大会

時代はミラン黄金期、サッキを監督に据え、4-4-2のゾーンプレスという90年代のイタリアサッカーのテンプレートみたいなチームでした。
初戦、アイルランドに敗戦。2戦目も前半にパリュウカが退場し、大黒柱のバレージは負傷退場。セットプレーからのディノ・バッジョのゴールでなんとか勝利。3戦目のメキシコには追いつかれての引き分けという低調な滑りだし。
4チームがすべて『1勝1敗1分』という岡ちゃんが理想として口にしそうな結果で3位になるも、当時は24ヶ国だったので辛くも決勝トーナメント進出。まさか決勝まで行くなんて夢にも思いませんでした。

迎えたベスト16ナイジェリア戦、前半早々に先制を許し、ジャンフランコ・ゾラへの不可解なレッドカードで10人になるという絶体絶命の展開。アッズーリのアメリカはここまでか…というところから「ロベルト・バッジョの1994」は開演しました。
後半終了間際に同点ゴールを決め延長へ。その延長では絶妙なスプーンキックでPKを誘発。これを自ら決めての2ゴールでベスト8へ導きました。

準々決勝スペイン戦、先制ゴールはディノ・バッジョの豪快なミドル。ロベルト・バッジョの大会として記憶されていますが、もう一人のバッジョもなにげに大活躍した大会でした。が、役者がちがう。同点に追いつかれた後半終了間際、キーパーとの1on1を冷静にかわして決勝ゴールを決めたのは、やはり千両役者、ロベルトでした。

準決勝の相手は、ストイチコフ旋風で台風の目となったブルガリア。が、もうこの辺りまで来るとバッジョは神がかってましたね。前半立て続けに自ら2ゴールを決めブルガリアを寄せ付けず。ストイチコフにPKを決められますが2-1で逃げ切り決勝進出。
ただ、この試合で太腿を負傷したバッジョは大会前からアキレス腱の負傷を抱えていたこともありまさに満身創痍。決勝では痛み止めの注射を打って出場したそうですね。
そして決勝ブラジル戦。膝を緊急手術したバレージもなんとか間に合いました。
試合は灼熱のカリフォルニア。守備的でつまらないと言われたブラジルとの試合はまあ、グダグダでしたね。ワールドカップの決勝は試合としてはつまらないなんてよく言われますが、その代表的な試合と言ってもいいかもしれません。延長120分を戦ってスコアレスドロー。ワールドカップ決勝初のPK戦にもつれ込みます。
両チーム一人目が外し、その後の3人がきっちり決めたブラジルと、4人目のマッサーロが外したイタリア。3-2で迎えたイタリアの5人目はロベルト・バッジョ。
結果は皆さんご存知の通りです。
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

紛れもなく、ロベルト・バッジョのためのアメリカ・ワールドカップでした。

1998 フランス大会


「デルピエロの大会になる」
そんな前評判もありましたね。リーグ戦で21ゴール、CLでは10ゴールを挙げ得点王。まさに充実のとき、アッズーリのエースとして臨む大会になるはずでした。
そのチャンピオンズリーグ決勝でデルピエロは負傷。本大会に間に合うか微妙な情勢に、パパ・マルディーニ監督は暫く代表から外れていたロベルト・バッジョを本大会にサプライズ招集。
そのバッジョはGL初戦チリ戦でいきなり1ゴール1アシストの活躍。第3戦オーストリア戦でも決勝ゴールを挙げ、勝負強さは健在であることをアピールしました。
一方のデルピエロはなかなか調子が上がらず、結果的にゴールもアシストも記録することはなく、初めてのワールドカップの舞台はホロ苦いものに終わりました。

GL3戦全勝と順調に突破したアッズーリはベスト16でノルウェーと対戦。ヴィエリのゴールでこれを降してベスト8に進出。ヴィエリはこの大会5ゴールを挙げアッズーリのエースとして君臨しました。

準々決勝の相手は開催国フランス。地元で初優勝を目指すフランスとの戦いはスコアレスでPK戦に突入。イタリアの一人目のキッカーを務めたバッジョは今度はこれを決めますが、結果は4-3で敗戦。
イタリアの90年代のワールドカップはすべてPK戦の末敗退するという結果に終わりました。

バッジョ→デルピエロ、デルピエロ→バッジョの交代シーンはどの試合も象徴的で目に焼きついてますね。

オマケ
90年代のアッズーリベスト11(独断)
GK パリュウカ
DF タソッティ
  ベルゴミ
  バレージ 
     マルディーニ
MFドナドニ
  アルベルティーニ
  ディノ・バッジョ 
FW ロベルト・バッジョ
  スキラッチ
  ヴィエリ

4-4-2じゃなくなっちゃった…
ロビーはトップ下ってことでなんとか…  



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