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ユベントス'90s

セリエAが世界最強リーグと呼ばれていた1990年代。ユーべとそれを取り巻くライバルたちについて振り返るシリーズ第5弾。ローマは1日にしてならず。

Part5.ローマ!ローマ!ローマ!

お久しぶりの'90sです。今回は永遠の都、ローマです。ユベンテイーニの中にも隠れロマニスタは意外と多いのではないでしょうか?かく言う私もローマにはちょっとだけ親近感を抱いています。

名物会長フランコ・センシ

1990年代のローマと言えばまずはこの人に触れないわけにはいきません。
それ以前の1980年代にはロベルト・ファルカンやトニーニョ・セレーゾ、ブルーノ・コンティといった名選手を擁し、名将リードホルムに率いられたローマはスクテッド獲得やチャンピオンズカップ決勝進出といった黄金時代を過ごしましたが、その後は上位と中位を行ったり来たり。
そんな1993年、石油王センシがクラブを買収。2008年までの15年間に渡って惜しみなく私財を投入。ローマで生まれ、ローマで育ち、のちにローマで亡くなるまでクラブに愛を注ぎ続けたセンシは、インテルのモラッティと並び、セリエAの名物会長として知られています。


センシ会長、強烈でしたよね。当時ペルージャの会長だったガウッチと並んで、濃いなあ!っていう印象が今でも残ってます。この二人は中田の移籍交渉とかで当時でも日本でもよく知られる存在でしたからね。モラッティはどちらかというとスマートなイメージですけど、センシとガウッチは叩き上げ社長!っていう濃ゆいイメージです。


光と影 混迷の90年代

'90sと唱っているので1990年代のセリエAにフォーカスしていこうというこの企画なんですけど、セブンシスターズの一員として知られている割には、当時のローマはなかなか地味というのかなんというのか。成績もセブンシスターズの中でも際立った存在ではありませんでした。(しげさんゴメンね…)


センシとともにやって来たマッツォーネ監督は、のちにペルージャとボローニャで中田英寿を指導したことで日本でもよく知られた存在ですが、彼が指揮した1993-1996はあのフォンセカとバルボのツートップでも我々の記憶によく残っていますね。セリエAダイジェストでも毎週弄られてました。フォンセカバルボ!チームの成績はあんまり覚えてないですけど、この二人のプレー集はなかなか強烈でしたね。フォンセカが華麗にチャンスメイクして、バルボがドカンと決める!みたいなイメージです。
そしてこの時期にトップデビューしたトッティも指導していますね。
そしてこの時期の在籍選手を検索してみると、まずは何と言ってもアウダイール。当時のローマの象徴みたいなキャプテンでしたね。他にもカルボーニやリッツィテリ、へスラーといった懐かしい名前が並びますが…ん!?ミハイロヴィッチ!サンプとラツィオのイメージが強いですけどその前はローマにいたんですね。



マッツォーネ退任後はのちにボカ・ジュニアーズの黄金時代を築いたカルロス・ビアンチも就任していますね。ですが、選手たちと反りが合わずすぐに解任されています。リードホルムの再登板、セッラ監督と3度の監督交代を繰り返し、12位に沈んだこのシーズンの後に、最大のライバルであるラツィオの監督であるズネデク・ゼーマンが就任。ってゆーか、ゼーマンってラツィオから直接ローマに移ったんですね。揉めなかったのかな…



ゼーマンからカペッロへ 栄光へのホップステップ

このゼーマンが指揮した1997年から1999年の2シーズンは、その後の礎を築いたという意味では、野村監督の率いた阪神のような時期だったんでしょうか。この年から10番を背負ったトッティは主に左のウイングで躍動し、アッズーリでもデルピエロの対抗候補に挙げられる存在に成長し、1998年のフランス・ワールドカップからは選に漏れたものの、22歳とクラブ最年少でキャプテンに就任し、バンディエラへの道を歩み始めました。



また、ディビアッジョやデルベッキオ、ディフランチェスコにトンマージといった『ローマの屋台骨』とも呼ぶべき選手たちは、この1995年から1998年にかけてチームに定着しています。


そして1999年にカペッロが監督に就任。2000年に株式上場をしたことで大型補強に乗り出したローマは、中田英寿やバティストゥータ、エメルソンといったビッグネームを次々と獲得し2000年代の躍進への道を歩み始める。
その後はここにいる皆さんのほうがよくご存じでしょうから割愛!



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