毒親ブームが終わる日と似非医学カルチャーの流行再生産ビジネス。

【毒親の定義】'他者に配慮を欠き、他者に依存し、都合が悪い事は他者のせいにする子ども'を持つすべての親。

親が毒なのではなく、毒親というワードを使う若者がほぼ大体のケースにおいてマインドコントロールの毒に侵されてしまい人格に非が明らかな場合がほとんどである。

こちらの毒親の特徴を語るYouTubeの動画がわかりやすい「親→子に置き換えると、毒親というワードを使う子どもこそが自身で言っている通りの人間であることが明確になる」https://youtu.be/aVLUmlBoN-c

基本的にこの似非医学はアメリカのカルト宗教が若者を親や家族から分断してマインドコントロールする手法がそのまま流れて来ているだけである。

古くはマインドコントロールの盛んだった二次大戦後からカルト宗教の隆盛と共に始まり、日本には母原病、アダルトチルドレン、毒親の順に入って来ている。

【マインドコントロールの手口】

カルト宗教にマインドコントロールされた女性を描いた映画にもあるが、https://youtu.be/_0eRVLOJHP0、親子を分断して、子の依存対象の相手を親ではなく教祖にすり替える為に、子にとって通常は依存対象になっている親への憎悪を煽る為、自身の悩みや不都合の原因は親、親子関係にあると支配したい信者に刷り込む手口で、アメリカのセックスカルトの定番の手口である。この手法をまんま生徒の女性に使い何度も親子関係と自身への影響についてレポートを書かせて女性をマインドコントロールし性的関係を結んでいた心理学の大学教授が逮捕されたケースもある。すべての原因は親にある、そしてその親から庇護する教祖こそが愛ある保護者であり、教祖に忠実にある事が自身を守り正しい道であると刷り込み、性的搾取を行った上にマインドコントロールを重ねて殺害や強盗の命令まで従うようになる。

【日本の似非医学ビジネス】

この手の似非医学をビジネスとしているアメリカを習って、日本でも展開されている。この手のカウンセリングや書籍の売り上げは上々であり、これを行う方は世間で大量の親子分断が起きようが自身の利益になればそれでいいので、やりたい放題。本来なら正式な精神医学の側から警鐘を鳴らすのが医学者の責任だが、大体の学者も他人事として放置している現状がある。どのみち似非医学、めんへらの患者は心療内科の客にも流れてくるので黙っている節も見受けられる。

普通に考えて、'批判される問題ある毒親が99.999...%で、問題のない子どもが0.000001%'なんて事がある訳がないだろう。しかし、ネット上ではそのおかしな事がまかり通っている。毒親は真っ赤な嘘と言うまでもなく察しがつく。

【そして女性の性的被害】

親子の分断を煽り、家出をススメて「うちにおいで」のパターンはTwitterでは日常の光景だ。中には女性信者とパコる為に毒親被害者の女性相手のカウンセラーをやっているのまでいる。もちろん新興宗教も多いにこの手の信じやすい鴨に入り口を開いて待っている。

【毒親という人々が第三者を交えて親と向き合わない理由】

単純に、自身に非がある、誇張しているのがバレるから。

そして本当に困るのは本当に虐待で困っている人々なのである。

【虐待被害者ほど虐待を隠すor毒親と言わない】

昔からそう。本当に愛情を受けていない場合、愛情に飢えるから親を憎み切れない心理が働く。

親に嫌われたくもないし、隠す。虐待被害者も親を隠すから発覚が遅れる。児童保護施設にいる親あり子どもなんて大抵、親の愛情に飢えている。

虐待に耐えられなきゃ家出する。男性なら早けりゃ中学くらいにはホームレスするなり、売春するなり、暴力団に身を寄せるなりし、親との葛藤を抱えながら成長するうちに、成人して親を許すタイミングがくる。人間の弱さを知り、自身の弱さを知り、誰もが完璧じゃない、親も完璧じゃなく弱い人間だと気づき、憎んでいる限り過去に縛られて前に進めない、成長できない、強くなれないから。乗り越えて真に自立するしかない。

じゃなきゃいつまでもその崖下から這い上がれない。

そうして心身共に自立した後では親を憎む気もしなくなるし、自身も父親になっていたりする。そして親が自身を育てる上で悩んだであろう事も察する事もできるようになる。

典型的な人物にYouTubeでは加藤秀視氏がいる。

彼を短くいうと、父親からの虐待→施設で育つ→親の関心を引こうと非行に走る→子分の死をきっかけに変わろうとする→病床の父親を見て父親を許すタイミングが来る→本格的に自身を見つめ直し乗り越えていく→いつしか同じような境遇の人々の支えになっていく。

そして彼の活動と多大な社会貢献は親子分断ではなく、数多くの親子の絆を再生してきた。彼の活動はYouTubeでも一部公開されているので親子双方にアプローチをして、家族の絆まで再生してきた様子が理解できるだろう。

一方、毒親ビジネスは誰も救わない。毒親毒親とマインドコントロールを受けている若者はずっとその場から抜け出せないし、親子関係の再生もなく、孤立を生むだけである。

そしてまたその孤立すら毒親のせいなんだとループする。

人を支えるというのは、支える方は相手からも影響を受けやすい危険があるし、何より時間、労力、資金などの負担も非常に大きい。

夜回り先生で知られる水谷修氏も何度となく抑うつ状態に陥っている様子が見受けられる。

俺は男性なので女性の場合は知らない。ネットで声かけてきた男の家で居候オナホにでもなるパターンを見かける。同級生のケースだが。大抵、若いうちに働かないで男の家に同棲しているのは家出して居候オナホしてる女性だし。

居候ではなく、一人暮らしだったなら自立、成長に役立つが、居候は共依存が身につきやすいので単に依存対象が親→居候させている男性にすり替わるだけで後の人生に悪影響を与えやすい傾向が見受けられる。なるべく自立する体験を若いうちから積むに越したことはない。

【むしろ虐待被害者は毒親というワードを使わない方がいい】

単なる自己中な人、被害者を装っているだけと誤解されてしまうからだ。虐待被害があって、助けを求めるなら親に〇〇されて困っていると言えばいいだけだ。毒親毒親と言うとそこら辺にいるダメ息子ダメ娘だと誤解される訳だ。

【ブームの終焉と再生産】

同じ手口は同じ名称では長く続かない。名称を変えた上で、中見を少しリメイクして、大体10年20年したらまた違うのがアメリカのカルトから輸入されてくる。

某芸能人も陰謀論を信じてしまっていたというネット右翼の陰謀論ももとはアメリカの政党と癒着しているカルト宗教がナチスドイツのマインドコントロール、扇動手法をリメイクして大統領選で使っていた定番の手口を、韓国のカルトが韓国へ、そして日本へと大体2000年初頭くらいに持ち込んできた手口だ。日本の某政党は新興宗教の組織票目当てにベッタリな関係だから。俺は2chがモバイル向けに対応する前から2010年くらいまで2ちゃんねらだったからよーく見てきた。

【毒親が発達障害ではなく子が発達障害】

これは俺の場合だ。自閉スペクトラム障害は同居では家族とも長期的に安定した緊密な人間関係を築くのが難しい。

同居はほんと困難だ。妻子とも一戸建てと、自分用のアパートを借りて別居した。離婚後は自由が再びと解放感いっぱいだが、元妻は別れる気がないらしく、たまに接触してくる。

発達障害の有名人はほとんど独身なのは伊達じゃない。1人が好きなんでも、人に関心がないんでもなく、上手くいかないだろうなあ、互いに傷つくのももう面倒だしなあ、互いに理解は難しいしなあ。と自覚するんだよ。

地位や金があってもこの部分の自信は極めて低いから、金の関係だけで済ます人もいるだろう。

相手の事が好き嫌いという問題とは別の問題であって、無理にくっついていると心身が保たない。

適度な距離をとってたまに会うくらいだと問題ないから、別居した方がいい。

発達障害同士のカップルについてはわからないけど。そもそもASDの女性と知り合った事ないし。

親が好意で言うことや行う事も時として俺には親からの暴言、攻撃に感じてしまう。例えば、俺が片付けられない(自分なりに整理してはいるが、自閉スペクトラム障害の整理整頓は独特でそうでない人には散らかっているだけに見える)からと片付けられてしまうと、置いた場所に置いた物がない!という事が起きてしまい、俺には嫌がらせとして働いてしまう。

さらには「お前は片付けができないダメな子なんだ!」と、否定の言葉が繰り返されることになる。

こうした'親としては好意でしてあげている事'が俺には暴言、嫌がらせに感じてしまう事が積み重なるから、親の不理解に悩むことになり、親は親で俺の扱いに悩むことになり、互いにこじれていく。

俺にとってして欲しい事があればちゃんと言葉なりで情報として伝える。そうでない事は望まないから言わないだけである。お願いしてもいないのにそれをされたら大体は迷惑になる訳だ。

やめて(勝手に片付けないで)と言っているのにそれをされたら相手がこちらの意思を受け止めていない否定されたと感じる。

親からしたらさっぱりこれがわからない。

欲しいものが有れば何々が欲しいというし、それ以外は要らない。誕生日に気持ちだけでいい、物はいらないと言ったら遠慮じゃなく、本当に物がいらないから情報としてそれを伝えているのに、何か買って来られても内心はこちらの意思を聞かなかった、信頼されてないと感じる。

「言葉通りに受けとってくれればいいのに、定型の人々は言葉通りに受けとめない、何がしか歪めて解釈して返してくる」訳だ。

「寒い日に寿司屋で寿司を頼んだら'寒いので温かいものでもどうぞ'とラーメンを出してくるのが定型の人々。」

寒かろうと寿司が食べたいから寿司屋で寿司を頼んだのに、何故言葉通りに受けとらないのか。

そういう意味で発達障害の方からすれば定型の人々こそがそういう部分で相手の気持ちがわからない人々でもある。

例えば大阪なおみ選手がテニスの試合中、体に蝶が止まって付き纏ったのを、なおみ選手がそっとコート外に連れ出したニュースのコメントでは、

定型の人々「蝶も良い人は良い人とわかって寄ってくるんだね。」感情的に見て解釈する。

ASDの俺「飛行する活動に必要な塩分を探していたら汗をかいたなおみ選手を見つけたから寄っていったんだね。」合理的に見て解釈する。

どちらが蝶の気持ちがわかっている?ASDの方が動物の行動に感情移入しないで合理的に洞察するからASDの動物学者がいる。

発達障害側からすれば気持ちは言葉で情報として伝えているの。定型発達の人々は言葉を言葉通りに受け取らないから気持ちを気持ち通りに受けとらない人々でもある訳。

こっちは自身が嘘が下手なのを自覚してバレると思っているから小手先の駆け引きしないで言葉は直球で投げているし、直球で返してくれればキャッチボールできるの。

嫌われたくはないが、嫌われない為に自身と相手に嘘つくのもイヤだから、開き直って本音を言うの。

こう表現すれば、定型の人々に悪気はないにしても、困るASDの気持ちが想像つかないだろうか。

後は省くが、22歳で両親と和解するまで凄まじく親を憎んで、15歳からずっと家に帰らなかった。

この頃の俺は親を毒親どころか鬼畜くらいに考えていたくらいだ。

ただ、後になって和解して、さらに発達障害の診断を受けてしばらくした後、通りで親とも妻子とも暮らせなかった訳だと全てが氷解した。

自身で何が発達障害なのかは未だにわからない事が多いが、子どもの頃からところどころ見方、考え方、感じ方が人々とすれ違う。

だから発達障害だとわからない親子にとって、発達障害の子どもへの接し方がわからない普通の親は、発達障害の自覚がない子どもからすればとてつもない毒親に感じることになる。

伝わらない、通じあえない、自分の気持ちがどれだけ言葉を尽くして訴えても空振りに終わる絶望感でいっぱいになるだろう。

親からすれば子に感情移入すればするほど発達障害の子の考えや行動の理由をズレた解釈をしてわからなくなっていくだろう。











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