連れの伊藤

初投稿ですが、2020年が終わる前にも書き記しておかなければと思い書いております。noteの仕様もよくわからず、何を書こうと迷いながらですので、まとまりが無い内容になるかも知れません。

伊藤と出会ったのは、大学に入り剣道部に入部した日。青いジャージに金髪でどう見ても剣道をする人間には見えませんでした。印象というかその時は大学には色んな奴が集まるなーと思ったぐらいでした。伊藤は同期ですが、浪人してからの入学で学年的には1つ上でした。活動をする中で色々と話す中、お互いにブルーハーツが好きだとわかり意気投合。そこからはグイグイと距離を縮めてくるので、最初の頃は距離感に困惑してました。僕の地元の方々との剣道の稽古会に参加したとき、僕の実家に手土産を持ってきてくれました。ヤンチャな見た目でしたが、まだまだ世間知らずな僕に比べちゃんとしてるなと思ったのを覚えてます。大学の剣道部では破天荒な事も沢山しつつ、飲み会や部の行事を仕切ってくれたりする姿に色々な事を学ばせてくれました。色々とええ名言もいうてましたわ。3回生の時だったか後輩が部を辞めたいと相談にきたときは

「辞めるのは簡単や。人生の決心みたいな深刻な顔してるけどな、辞めると伝えてる今は辛いやろう。でも辞めた後はそれも無くなる。ホンマに大変なんは続けることなんやで」

他にも先輩後輩の関係についても

 「先輩が気に入った後輩を選んで可愛がる思ってるやろうけど、先輩が後輩を選ぶんちゃう。後輩がこの人に着いて行こうと思う先輩を選ぶねん。舐めた態度を取られる言う事はそいつから先輩として選ばれてないねん」

みたいなことを言ってました。本人は全く覚えてないやろうけど、僕には今でも大事に思う言葉です。しっかりしてるようで、めちゃくちゃな事もしてて、飲み会では先輩だろうが後輩だろうが、酔いつぶしてゲェゲェ吐いてるのをゲラゲラ笑ったり、知らん人に喧嘩売ろうとしたり、、、。そして部内では先輩には礼儀とスジを通し後輩の面倒見もよく、同期との絆は大事にし、誰からも一目置かれる器の大きい人間でした。

大学卒業後、僕は一人暮らしをはじめバイトしながら、役者への道を歩みはじめてました。伊藤は建築関係をしている父親と一緒に仕事をしてました。ちょくちょくと僕の部屋に遊びにきて、飲みに行ったりハイロウズのライブに行ったり、2人でパチンコに行って勝った方が奢る「鉄の掟」ルールで3日連続で焼肉行ったり、ダウンタウンの番組やDVDを観まくってお笑いについて語り合うとか、とにかく良く遊びました。

そしてある日突然、「しばらくお前の部屋に住ましてくれへん?」と言ってきました。僕は誰かと同居するというのが、どうも嫌でしたが「こいつなら良いか」と深く理由も聞かずに思い承諾しました。少しして伊藤が言うには、家庭で色々とあって家出してきたと。他に頼るところもないから、ウチにきたと。その頃、僕は夜勤だったので、部屋の鍵も渡して、僕が帰ってきたら伊藤が出ていく、伊藤が帰ってきたら僕が出ていく、お互い休みの時は遊びに行って飲む。みたいな生活が始まりました。なんとなく兄弟のような感じの関係でした。

そんな中、ある日2人で飲んでたら急に深刻な顔で「お前にずっと言ってなかったんやけどな、、、」と話しはじめました。「なんやねん、急に」と返すと、「俺なー在日やねん」僕は最初何を言い出したのかわかりませんでした。もちろん在日韓国人という人の事はなんとなくは知ってますが、僕にすると別になんてこともなく差別的な意識も全くなかったので「まぁ、それを知ったとしても俺らの関係は変わらんやん」みたいな事を言ったと思います。その後、「そうかー良かったわ。お前がちょっとでも変な顔したらどうしようか思ってめっちゃ怖かったんや」と涙目で話します。僕が想像できないほどに在日への偏見や差別があるんだと知りました。何年経っても不意にこの時の話しをしだす時があります、「あの時のお前の言葉は嬉しかったわー」と何度も言います。その後、家庭との関係も戻り、親父さんと一緒に仕事をはじめ、僕の部屋からも出ていきました。

出ていったものの、その後もしょっちゅうウチに来てました。鍵を渡してるもんで、夜勤から帰ってきたらだいたい僕の部屋で寝てはりました(笑)

僕がそとばこまちに入団し、演劇活動が拡がったと共に伊藤も大阪市の工事を監督する立場になったり仕事が忙しくなってきてました。お互い休みの時は飲みに行って、僕が知りもしない工事の話を延々と聞かされました。なんか予算立てから工事の計画の書類を段ボール一個分ぐらい書いたりとか、計画書類が優秀で市から表彰されたとか、クレーム対応の話とか色々と活躍を聞かされました(笑)僕の演劇活動も応援してくれ舞台も観にきてくれました。「五右衛門」がそとばこまちの舞台をはじめて観にきてくれた作品です。「お前をちょっと舐めてたわ。めっちゃおもろかったし、お前も凄いなー」と絶賛してくれました。伊藤は映画も好きで作品を見るという事に全くの無知ではなく、見る目もあったので、素直に嬉しかったです。よしもと×そとばこまちも「のぶなが」「おりょう」と観にきてくれました。

そんなこんなで、飲みにいったり遊びにいったりはしてましたが、お互いに忙しくなってきて、ここ2.3年は飲みにも行けず、たまに電話するぐらいになってきてました。去年ぐらいに「久しぶりにお前とも飲みいかなあなんなー」と話してました。

そして、今年、コロナが発生。僕も公演が延期になったりと影響が出始めました。公演予定だった日程、僕にはめずらしく4日ほど空きができました。その空きの日、伊藤から電話が来ました。「なにしてんねん?近くおるし、コーヒーでも飲みいこか?」と。かなり久しぶりに伊藤と会いました。お互いのコロナの影響の話しやらをしてまして、「市からは現場止めますか?って聞かれたけど、ウチの職人にも飯食わさなあかん。予防対策をしてなんとか現場動かしるわ」との事。マスクが手に入らない時でしたので「お前マスクあるんか?手に入るから、お前にも送ったるわ」と言ってくれ、後日「家族にもやらなあかんから、ちょっとやけど洗って何回も使えるマスク送るわ」と送ってきてくれました。少し疎遠気味やったけど、やっぱり伊藤とは連れやなと。近いうちに飲みにも行かなあかんな。と改めて思いました。伊藤とは友達とか親友というより、連れというのがちょうど良い表現の関係です。弱音や愚痴を吐いたら、怒られる。慣れ合う事もない。気を許しつつ、どこかお互いに弱味は見せないみたいな。困った時があれば頼る。でも甘えない。不思議な関係です。まぁ僕はええもんを食わしてもらったり色々と世話になりましたが、伊藤からすると、自分が1番しんどいときにくぼたに世話になったからなーと言ってくれます。

2020年5月8日。僕の40歳の誕生日。伊藤のお姉さんから突然連絡がありました。前日に伊藤が事故で亡くなったと。突然すぎて、頭では理解しつつも全く現実感はありませんでした。電話したら普通に出るちゃうかなと思ってました。LINEも既読がつかず。コロナもあって身内だけのお葬式に参列させてもらいました。会場には伊藤の写真。間違いなく伊藤のお葬式でした。現場で作業車に巻き込まれたとの事。即死だったそうです。親父さんが言ってました。「人間、死ぬ瞬間は意識があるらしいからな。あいつ、死ぬ瞬間何を思ったやろうな」と。

火葬場で伊藤の骨を見ても、それがあいつの骨だという実感はなく、そろそろ「お前、ガキの使い録画してんか?」と電話かかってきそうです。でも、もちろんそんな電話もLINEもなく。喪失感や寂しさ、思うたびに涙が出そうになったりしますが、いまだに受け入れられてないような感覚もあります。あいつの分も頑張る!とか安っぽい言葉は出てきません。かと言って、自分も死んだら会えるみたいな考えもなく。

年が明けて5月になったら、僕は初めて1月生まれの伊藤より歳上になります。

まとまりなく記してしまいました。こう言うのを書いて公開したり、人に話したりする、同情をひくような事に僕は抵抗があるんですが、どこかに残したいと思い書きました。葛藤しつつ投稿します。


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