ongaku (雪の港)

とてもたいくつだったし、すこしさみしかったぼくは、おんがくをさがしにいえをでました。

 今日は1月9日土曜日。雪がたくさん積もっています。風がない夜に、雪が降るのはいいものだ。とても静かで、次から次へ雪が落ちてきて、積もってゆく。
 海に雪が降るのを見たことがある。真っ暗な空から、真っ黒な海へ、どんどん、どんどん雪が落ちてゆく。そのとき、やはり風がなくてとても静かで、次から次へ雪が落ちてきて……、でも積もらない。海だから。次から次から落ちてくる雪は、音もなく海に触ったとたんに消えてゆく。わんさかわんさか落ちてきては、黙ってすっぱり消えてゆく。
 それを眺めていたのは港でした。お父さんは泊まっている船のデッキからそんな風景を眺めていたのです。25年くらい前のことかな。ひとりの男の子が、港に泊まった船が見えるビルの窓から、そんなふうに雪が海に消えていくのを眺めている話が書きたいな。
 その男の子は部屋で、一人でお留守番をしながら、窓辺で夜の雪を眺めているのです。何を考えているのかな。どんな気持ちでいるのかな。

 港のビルに住んでいる男の子は、窓辺に自分の机を置いています。宿題をしたり本を読んだりしながら外を眺められるし、港で働いているお父さんの姿も、ときどき見ることができるからです。お父さんが太いロープを引っ張ったり、フォークリフトに乗って仕事をしているのが窓の下に見えることがあるのです。
 でも今夜、男の子は上ばかりを見ていました。風のない夜空から静かに静かに、雪が舞い降りてくるのを眺     めているのでした。なんだか、自分がゆっくり空へ昇っていくような感じが不思議だし楽しいし、そして少し怖いような気もしました。このままずっと空へ昇って行ったらどこに着くんだろう。
 雪がやってくる夜空は、真っ暗ではありません。街の灯りで、黄色っぽいようなピンクのような、少し黄緑も混じったような、ぼんやりとカラーがにじんだ明るい灰色でした。落ちてくる雪をじっと見ていると、雪の粒にもいろんな色がついているような気がしました。

 降ってくる雪を見上げていると、近くに降りてくる雪が、ひらひらくるくる回ったり、あっちへこっちへ揺れながら降りてくる様子がよくわかります。楽しそうなリズムで降りてくるもの、さみしそうにゆらゆら降りてくるもの。大騒ぎしながら元気に踊っているようなもの……。それぞれみんな生きているように見えてきました。それぞれみんな、みんなそれぞれ、思い思いに。少し風が通って、全体が揃って、ふわっ、とうねることもありました。部屋の中に入ったり、それが、男の子のまつげに引っかかったり、顔に乗って溶けることもありました。男の子は飽きずに空を見上げていました。

 男の子が住んでいるビルは埠頭に建っていて、目の前には大きな船が泊まっていました。船出まではまだ時間があるらしく、船のエンジンの音は静かに低く、ゴンゴンゴンゴン、と真っ暗な海に流れています。
 雪が降っているからでしょうか、静かな夜です。今夜は積荷も少ないのでしょうか。コンテナをつり上げるクレーンも黙って雪の中で立っています。
「お父さん、今夜は何の仕事をしてるのかなぁ……」
男の子は波止場の端から端を見渡しましたが、誰も見えません。男の子は、また、空を見上げました。雪はさっきまでより、ゆっくり降ってくるようです。ふわふわ、くるくる、ひらひら……。やっぱり空に吸い上げられそな気分です。遠く遠くの小さな点が、しだいに雪の形に見えてきて……。と、そのときです。……チリン、……チリン、チリリン……チン……。どこからか、鈴のような音が聞こえてきました。
「何の音?」
男の子はびっくりして、雪が次々降りてくる夜空を見渡しました。チリン……チン、チリン……リン、チリチリン、リリリンチン……。音はだんだん音楽のようにつながってゆきます。雪が、くるくるひらひら、舞って、降りてくる、そのひとひらひとひらが、男の子の側を通り過ぎるとき、音を出しているのでした。くるくるひらひら、その舞が、音楽になって聴こえてきたのでした。
「すごい、雪の演奏だ!」
チリリンリンチリリンリンチリンチリンチチチチン……。しだいにメロディーまで聴こえてくるのです。空から地面へほんのひととき鳴らした音が、次々につながって音楽を流すのです。男の子は部屋の棚からピアニカを持ってきて、また窓辺に戻ります。「プププップーッ、ププップー」空に向かって吹きました。
チリッ、チリン
ピアニカの音に驚いたように、少し雪が浮いたような気がしました。
プププップーッ、ププップー、プウププー
男の子は雪の演奏に耳を澄ませながら、そのメロディーを追いかけます。
チリリンリンチチリリンリンチチリンリリンリチリン……
プププッププープププップープープウププウプッ……
男の子が息継ぎをしようと、一瞬音が止まったそのときです。
「おぅい、きみにも聴こえてるのか。いいねぇ。」
という男の人の声が下でしました。ずっと空を見上げていた男の子は、そのコートを着た男の人がいることに気づかなかったのです。びっくりして窓から見下ろしていると
「降りてきていっしょに演奏しませんか」
とキラキラした楽器を持った手を上げていいました。男の子は何も言えずにしばらく黙っていました。見上げたメガネに雪がハラハラとふりかかるのが見えました。
「どうですか? ほかにもいろんな音楽が始まってますよ」
どうしよう、お父さんは夜勤だし、夜ご飯は食べたし宿題も終わった……。
男の子は「えいっ」と腰を上げ、ピアニカを手にしたままドッドッドッと階段を下りて行きました。
ガッチャ、とドアを開けると男の人と金色の楽器が微笑んでいました。
「いいねぇ。ではさっそく始めましょう」
男の人は金色の楽器を口にくわえると静かに大きく息を吸い込みました。どんな音が出るんだろう? 男の子はドキドキしました。


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