tweet memo

40年ほど前に、小学生だった時、新聞日曜版の1面でムンクの叫びがバーンと紹介され驚いて見入ったことが、今ふと思い出された。ああゆう感じが「衝撃」てものなのかな。
その項をその後数年間は取っておいた記憶がある。
ムンク展を観に行ったのは高校生の時だったろうか。生の生々しさは記憶と違わなかった。新聞の印刷はそうそうよくはなかったはずだけど、それですり減らないものに衝撃を与えられた、ということかもしれない。

ちょっと整理したいことのスレ2 生きづらさのこと。貴戸理恵さんの本を読みながら。
中学生で軽くつまづきがあったのかもしれないけど、表に出てきたのは高校生の時だなー。そこをルーツとしてたどってみる?
小学校だ。分数だ。1割る2は1/2、なんで?ってあの算数の時間に開いた扉。「なぜ、1/2?」を一緒に考えてくれる仲間がそこにいた幸せ。みんなどこ行っちゃったんだろう?
「1割る2は1/2」、へ〜そうなんだ、了解。って通過できなかった。通過できるようになりたいのと、通過しちゃうでたらめさの矛盾で40年。
それでも貴戸理恵さんが書いてる落ちこぼれ感に絡めとられることなく来れたのはやっぱり出会いの幸運かなぁ…。ほとんど登りもせずに、降りたちゃってたからかな。だからあたしの生きづらさは、社会に対してよりも未だに個人的な矛盾ってことになるのかな。
ときどき別の時代に生まれてたらもっと楽だったかな、て思うことあるけど、個人の矛盾が原因ならば、時代や世の中が変わっても一緒のことかもなぁ。そうなると貴戸理恵さんの『個人的なことは社会的なこと』が次に読んでみたくなる。#個人的なことは社会的なこと

高校。進学当然の環境のなかで、当然、て思えなくて……それでいったいどうしたかったんだろう ?当然の真逆の疑問ばかりが沸いていて、答えはなくて、授業中10km先の高層ビルの影をや たら眺めてた日々。
「降りた者」というか、ほとんど登りもしなかった者、なのかなわたし。
「降りた者」というよりか、登りかけたらすぐに挫けちゃってそのまま者、なのかなわたし。

そうだ、そもそも小学生の時に「いろんな人がいないと困るなぁ」って思ってたんだなぁ。なんでそんなこと感じてたのか、不思議だわー

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