結局、外見が100%

村暮らし、もうすぐ1年になる。

日本には、ため息が出るほど美しい四季がある。不動の山並みに絡みつくような雲、季節ごとに強弱をつける太陽。太陽と連動した空気感に反応した植物は、ゆっくりゆっくり表情を変えていく。木々に覆われた山は、てっぺんから順番にグラデーションを重ね、早いところでは、山頂が白い雪で覆われ始めてきた。夜になると、手は冷たくなり吐く息も白い。

10月、紅葉の季節。引っ越してきてから、初めての秋。

色気たっぷりな紅葉を横目に、りんごの果樹園に収穫のお手伝い。

リンゴ果樹園って、広くって太陽の光が眩しくって、風通しが良くて、大きな鳥が翼を広げて、のんびり大空を舞ってる。最高か。ここは天国なのか。と思うくらい居心地のいい場所だった。リンゴの取り方の説明を受け、ひたすら収穫していく。楽しい。青空の下、集中して黙々とリンゴを採る。自分たちが食べるためのリンゴ。そのシンプルさが心地いい。


今回は、このリンゴ収穫や普段の農家さんの話を聞いて、なんだかなーと思うことがあったので記述。

「結局、見た目が100%」。
そう、野菜や果物は、見た目でジャッジされてしまうということ。

聞いたことある人も多いんじゃないかな、少しの傷があったり形がいびつだから売ることができない野菜のこと。リンゴ果樹園も、そんな余ったリンゴの処理に頭を悩ませていた。ワタシは、実際にここに来るまでは、加工して売ればいいじゃんって思っていたけど、そんな簡単な話では無さそうだ。

なんせ、若い人が居ない。農家さんはだいたい60代から80代の方が多くて、若くても50代だ。都内で小売営業のお仕事もしていたワタシからすると、余った野菜があるなら、インターネットを使って野菜や果物を販売したり、自分たちで瓶詰め加工して販売する6次産業のことがすぐ思い浮かぶんだけど、年齢を重ねた農家さんは、そんなことをするヘッドカウントもエネルギーもなくなっている。

ちなみに、農業事業者の平均年齢は66歳だそうで。


今回のリンゴの場合は、色むらになってしまったり、表皮の一部が病気になって斑点ができてしまったリンゴは1キロ数百円で量り売りに出す、とのことだった。傷などがあるものものは捨てられて、そのまま果樹園肥料になる。傷はあっても、もちろん味は変わらないんだけどね。リンゴは、量り売りで引き取られて加工されることが多いからまだいいけど、野菜となるともっと話は深刻だ。友人の話によると、収穫した白菜がそのまま土に埋められていたこともあるみたい。なんでかって?その時期に、白菜がすでに市場で飽和状態にあると、農協が引き取ってくれないから。せっかく美味しく育った白菜なのに、農家さんは持って行くところがないみたい。


こんな美味しいリンゴや野菜たちが、土に捨てられている。この村と比較した東京は、驚くほど野菜の値段が高いのに!なんだか矛盾してるよね。


イビツな野菜たちって、よく見ると個性的可愛いの。
顔や背丈が違う人間はいるように、いろんな形を持った野菜たち。

見た目が悪くたって、味は変わらない。

野菜や果物の価格基準って、誰が決めたのかな。



今、都内の高級レストランでも、そうした引き取り手のない野菜を使った料理を提供するところがあるみたい。


そうした動きが増えて、見た目を気にせず、本物の味だけを理解してくれる飲食店、一般の方が増えるといいって、心底から願う。そのためには、農協が行っているシステムを根本から変えなければいけない。

まずは、地産地消。

道の駅が行っているような、個人で栽培した野菜の行き先をまとめるシステムが必要。農家さんと売り手が繋がる必要がある。農協であふれた野菜たちの行き所を助けてくれる、スーパーマンが現れる日はくるのかな。そんなヒーローが現れたなら、ぜひ一緒にお手伝いさせてください。

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