105  新妻聖子 ☆ 夏は来ぬ

【MY FAVORITE SONGS 105(私は音楽でできている)】

 『夏は来ぬ』は1896年(明治29年)の作品です。国文学者で万葉集の研究者だった佐佐木信綱氏の作詞です。

 卯の花の 匂う垣根に
 時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 さみだれの そそぐ山田に
 早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
 玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

 橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の
 窓近く 蛍飛びかい
 おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

 楝(おうち)ちる 川べの宿の
 門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して
 夕月すずしき 夏は来ぬ

 五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
 水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
 早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ

 歌を聞いて、何となく情景は思い浮かびますが、あらためて歌詞をみて、まずルビがふってないとちゃんと読めませんし、漢文や和歌などに素養がないと中身を味わえないように思います。短い表現の中に、たくさんの意味を込めた古語や古事がちりばめられて、奥行きを醸しているように思います。

 明治になって、日本の漢文や和歌の文化が、西洋の音楽と出会って融合を試み、新しい表現を生み出そうとしていた時代の作品ではないかと想像されます。明治後半から大正にかけての文化活動は、より日本が際立った豊かな時代だったように思います。私は憧れますし、好きですね。

 特に『夏は来ぬ』は自然を愛でる日本の文化に則った作品で気品や格調を感じます。美しい野山や田園が目に浮かび、何か晴れやかなのびやかな気持ちになります。

 「ああ、夏だな」

 と思います。夏を歓迎する気分が出てきます。いまのようにエアコンも冷蔵庫もなく、蚊も蠅もいっぱいいて、噴き出す汗をうちわであおいで凌いで過ごしていた夏ですが、この歌を聞いていると、川のせせらぎを爽やかな涼風を感じられたりします。

 『夏は来ぬ』を聞いて歌って、そういう情緒というか体感を伴なったイメージをいだく日本人ももう少なくなって絶滅危惧種なのかもしれません。野山や田園(風景)は変わらずにあっても、いずれ情緒の多くは失われていくものだろうと思います。そしてまた、新しいものが生まれてくるのです。

応援よろしくお願い致します。