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つながって流れていくものをいのちと呼ぶ

 人はある時自分のいのちの有限に気づくと、永遠に想いを馳せるようになると思います。ものすごく大雑把に言うと、そこに立ちすくんでしまうと深く悩んだり病んだりするのではないかと思うのです。

 悩んだり病んだりしているものの多くは、流れが滞っている状況だと私には感じられます。自分のいのちの中の、ある場所、ある時点に立ち止まって、その辺りをウロウロしているうちに、あっという間に光陰矢の如くいのちは終わってしまいかねません。
 
 いのちというものは、つながって流れていくものなのです。そのことに気づいたり感じたりして、意識して生きていけるかどうかが、1つのカギになるように思います。

 年末、容量をオーバーしてパソコンが動かなくなって、大量に録画していた映像を、片っ端から消去しつつ、気になったものをぽつぽつと視聴しました。また積読で土砂崩れしそうな書籍書類から、拾い読みしました。

『NHKスペシャル 新・映像の世紀(1)~(6)』
『橋田壽賀子のラストメッセージ〜“おしん”の時代と日本人〜』
『地球交響曲第二番』佐藤初女 / ジャック・マイヨール /フランク・ドレイク / 14世ダライ・ラマ法王
『地球交響曲第九番』「ベートーヴェンを読み解く旅は果てしなく遠く僕はいまもなおもがき続けています。」小林研一郎 & 龍村仁
『博士の異常な対談:博士と町山、水道橋博士も思わず涙』
『BS朝日 SWITCH TV FILE.4 追憶の瀬戸内寂聴』
 
 自分が生きてきたいのち、出会ったり感じたり考えたり過ごしてきた中に、私のいのちの意味を見出すことがあるかもしれません。そこに親や家族やご先祖さまや出会った人のどんないのちが流れているかを知ることも大切だと思います。そして、これまでどんな歴史の流れあっていまがあるのか、も忘れずにいたいと考えます。

 たとえば、指揮者小林研一郎氏は子どもの頃音楽家になることを父親から強烈に反対されて、足をもたれて井戸に宙づりにされたこともあるそうです。後年、父親が亡くなって葬儀の時に、弔辞で父親が元々音楽家を志していたことを初めて知ったそうです。自分の中に流れているいのちについて、改めて確信したのだと思います。そして彼は、ベートーヴェンのいのちをつなぎ、世界に遺すミッションに生きているように思います。

 出会いをつなぎ、滞りを取り除き、流れを促がす。そのいのちを豊かに育むことに私は僅かながらに関わりたいと思います。 

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