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 母が百歳と3日生きてくれたことは、私には福音のようなものだったように思います。いまにして思えば、常に喪失の予感に耐えながら生活する4年という歳月は、心の準備をさせてくれるのに十分な時間でした。

 葬送のあれこれをこなしながら、母のいのちを何かの形で繋いでいきたいと思うようになり、それには百という字を使っていくのがよいかなと、考えました。

 寺の納骨堂の仏壇を掃除していて、回出位牌の中から(父方)祖父母のものを出して眺めていたら、私がこの世に登場する前に世を去ったいのちの繋がりも引き継ぎたいなと思いました。祖父は紀州和歌山の産で、百松と言います。

 そんなことを考えたことはすっかり忘れてしまっていたのですが、先週テレビ東京のカンブリア宮殿で日清食品の紹介があって、創業者の安藤百福さんの名前が何度も出てくるうちに、「あれ、何かあったな、忘れ物かな、やらなければならないことがあったような気がする」と思いはじめました。

 そうです。百です。ちょうど歳も1つとったので、ここは1つ久しぶりに改名する(いままで何度も改名している)ことにしました。おおよそ10年くらい使った「孫右衛門(まごえもん)」を改め、

 百楠(ももくす・ひゃくなん)

 となります。

 『どろろ』(手塚治虫)に登場する百鬼丸は、大昔から私の存在そのもののテーマに通じるものがあると感じていて、それとも重なって、ぴったりな気がします。

 楠(くすのき)は子どもの頃から身近にあって縁の深い樹木で、何だか自分を守ってくれるような存在なのです。そして、私はずっと「南」とも縁があるのです。

 先週ブースター・ワクチン(モデルナ)を接種して、発熱して脱皮した(野口晴哉『風の効用』)のも、RPGの次のステージに進んだ気持ちにさせてくれます。

 明日は春節、3日は節分ですね。百楠で春に向かいます。

応援よろしくお願い致します。