雨と祈りの伊勢神宮

"神はいる、そこにきっといる。"

僕と彼女は伊勢駅を降りた。
小雨が降る道を
塗装が薄くなって
掠れた青色の文字の
看板を掲げるお土産屋さんや
「patagonia」と書かれた
タペストリーのある小洒落たお店を
横目に外宮を目指した。
寂れているわけでも
活気が溢れているわけでもない
商店街を抜けた。


僕が伊勢神宮に行きたいと言った。
その理由は神を感じたかったからだ。
調べたところによると、
伊勢神宮は神社の中で最強らしい。
"天照大御神(アマテラスオオミカミ)"が
伊勢神宮にはいるらしい。
太陽神a.k.a天皇の祖先だ。
パズドラとかモンストでしか
聞いたことがない。
そんなヤバイやつを拝みに行けば
霊性に触れて新しい視座が
得れると思った。

外宮はアマテラスではなく、
トヨウケというやつがいる。
そいつは産業の守り神だ。
短い橋を渡り、
鳥居を2箇所潜った。
道の左右には苔に覆われた
立派な樹木が悠々と佇んでいる。

この木々は
いつからこの場所にいて
いつになったらこの場所から
いなくなるのだろうか。
きっと僕が生まれる前から
そこにいて、
きっと僕が死んだ後も
そこにいるのだろう。
なにより懐かしい匂いがした。
その木々は立派な幹を
自慢するわけでも、
謙遜するわけでもなかった。


そんなことを思いながら、
外宮の正宮(メインの場所)についた。
僕は、二礼二拍手一礼を念入りに行った。

僕が思い馳せていたそれとは違った。
何も、全く何も感じなかった。

まだ外宮だ。
きっと内宮に行けば神を感じるだろう。
まだもうワンチャンスある。大丈夫だ。
何も感じないのは僕に問題があるのか、
それとも神はいないのか。
不安か焦りかそれに似た感情になった。

気持ちを改め、
「おかげ横丁」で腹ごしらえをした。
彼女はここが目的地だったかのように
食べ歩きに心を躍らせていた。
彼女が食べていた
プリントーストを一口もらった。
特産品の何かが使われているようにも
思えないプリントーストは
たしかにおいしかった。
しかし、僕はこのプリントーストと
伊勢神宮や伊勢市との因果関係は
最後まで見つけられなかった。
名物の赤福や伊勢うどん、てこね寿司は
並んでいなかったのに、
プリントーストだけ並んでいた。
なぜプリントーストがおかげ横丁の
名物になったのかは後々調べて
決着はつけようと思う。

内宮の入り口は外宮と比べて
目立った違いはそれほどなかったが、
少し歩くと一本の川が内宮には流れていた。

駅についた時より
雨は強くなっていた。
それなのにその川といえば、
純一無雑であった。
土の濁りなどなかった。
強くも弱くもない川の流れ。
水面を見れば無数の波紋。
もっと近づいて見れば
浅黒い色のした小魚達。

まるでその川は雨が降っていることに
気づいていないかのように清らかだった。
明鏡止水という言葉がある。
なんとなくしか
知らなかったこの言葉も
この川が本当の意味を教えてくれた。


内宮の正宮についた。
結局は当たらない現実と
もしかしたら当たるかもしれない夢との
狭間でなけなしの小銭をはたいて、
宝クジを買うような気持ちで
賽銭箱にお金を投げ、静かに手を合わせた。

目を開けた。
ふっと横を見た。
僕が手を合わせる前から
祈っていた人がまだ
手を合わせいる。
とても無垢な表情だ。
その人が
なぜここに来たのか、
今何を思っているのか、
僕にはわからなかった。

その祈る人は
目を開けていない。
何も見えていない。
しかし、
きっと信じていた。
こころで観ていた。
それだけはわかった。



結局、内宮でも何も感じなかった。
感受性に問題があったのか。
伊勢神宮や日本の宗教に対する
知識や理解が足らなかったからか。
僕は僕がなぜ何も感じないかを考えた。
伊勢に着いてから何も感じなかったのか。
いや、僕は感じていた。
木々や川を
確かに感じていたことを思い出した。
なぜ感じれたのか。
もちろん視覚的に見えたからでもある。
けれど、
信じていたから木々や川が
僕には観えていた。
じゃあ、神はどうだ。
そもそも僕はその不確かな存在を
信じきれずにずっと生きてきた。
あの祈る人は神をきっと
信じて生きてきたんだ。
信仰とは、
神がいるから信じるのではない。
信じるからそこに神がいるのだ。


僕がいる場所は
もう伊勢神宮ではなかった。


目を閉じた。

鼻から少しだけ空気を吸った。

口から少しだけ息を吐いた。

まぶたの裏に少し神が観えた。


"神はいる、そこにきっといる。"

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