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 ビー玉とラウンドワンな彼女

梶井基次郎の「檸檬」
誕生日に貰ったBeatsの
ヘッドフォンを装着し、
馴染みの喫茶店へ入った。
朝の喫茶店はあまり好きではなかった。
人の流動が激しく、
昼間や夕方とは違って
ゆっくり過ごすのに抵抗が出てくる。

私はお店に気を遣うタイプだ。
コーヒーだけで長居をして良いものか。
あぁ、客当単価が悪くなる。
1人なのに2名席に座っても良いのか。
あぁ、お店の回転が悪くなる。
朝ご飯は食べない派だが
モーニングセットを頼むべきだろうか?
さっさとコーヒーを飲み干して
お店を出るべきだろうか?

お水を運んで来てくれる時、
注文が届く時、
伝票を持ってきてくれる時、
「ありがとうございます。」と
口角を上げ、お礼を必ず言う。
"お客様"という立場を決して
傲慢に利用しないのである。
常に良いお客さんでありたい、
私の自意識はつくづく仕様もないと思った。




梶井の「檸檬」
その小説は

「えたいの知れない不吉な魂が
私の心を始終おさえつけていた。」

という一文から始まる。
檸檬はそれほど文量がないので
すぐに読み終わった。

読み終わると同時に若い男女が
私の隣に座った。
その男女は大学生というよりかは
専門学生っぽい感じであった。
好きな映画をもし尋ねたならば、
男性の方は
「好きな映画はワイルドスピードっす!」
という雰囲気であった。
女性の方はあまり映画をみないので
「ハリーポッターとか?」
と答える雰囲気であったが、
テラスハウスには感情移入するタイプだろう。
つまりその男女はそんな感じの男女だ。


私は多趣味だ。
その趣味のひとつは"盗み聞き"だ。
我ながら背徳的で悪趣味だと思う。
悪趣味も趣味は趣味だ。
そして私はすぐに彼らに惹かれた。
ノイズキャンセラー機能から
外部音取り込みモードに切り替えた。
もちろんこのヘッドフォンから
言わずもがな音楽は流れていない。

盗み聞きを続けていくうちに
彼らのプロフィールが出来上がった。
男女ともに23歳、つまり1997年生まれ。
そして男性は生まれも育ちも神戸だった。
女性は鳥取県出身で田舎から出てきた。
カップルではなく、バイト先の友達である。
そのバイトは夜職だそうだ。
話の内容から
キャバクラかガールズバーだと推測できた。

基本的な会話のイニシアチブ
女性が握っていて、
男性はほとんど聞き手に徹していたが、
6ラリーに1回は自分の意見を言っていた。
けれど良い聞き手だと私は思わなかった。
なぜなら彼の目は
ビー玉のようだったからだ。
この比喩におけるビー玉は
カラフルで綺麗なそれではなく
ラムネの瓶に入っている無色透明のそれだ。
彼はきっと彼女の話など
どうでも良く彼女が一方的に話すことで
気持ち良くなってくれればいい、
というような奉仕の心で聞いていた。
それで喜ぶ人もいるのだろうけど
私は彼のそれを
少しおこがましいと思った。
けれど、もしかしたら
私がお店で執拗に
お礼の言葉を述べる時も
ビー玉のような目に
なっているのかもしれない。


彼女は言った。

「私、ヴィトンの紙袋をさぁ、3つか4つぐらい持って街を歩くの夢やねんなぁ〜」

訂正しよう、彼女は実際の会話の中で紙袋とは言っていなかった。ショッパーと言っていた。

彼は言った。

「わかるわぁ〜!」

共感した表情を浮かべていた。
絶対思てへんやん。
彼女に共感している彼に
私は共感しなかった。
なぜなら目がビー玉だからだ。
"表情"という言葉は
うまくできていると思った。"表面の感情"。
どれだけ親しかろうが人が人に
裏面を見せることなど
良くも悪くもあまりないのだ。

彼女は彼女で言わずもがな、
ヴィトンの商品が欲しいのではなく、
紙袋がほしいのだ。
否、ショッパーがほしいのだ。
つまり高級品を一度に複数個買える優越感、
そんな自分をアピールしたい自己顕示欲、
その上で他人に認められたいとう承認欲求。
私は彼女を愛せずにはいられなかった。
これは嫌味ではない。
私はそういった人間味溢れる人間を
愛しているのだ。
彼女はそういった気持ちが
消費行動に現れただけで、
私だってこの文章を
今書いている動機は同じだ。
彼女は清々しいまでに
それを恥じる事なく表明している。
私からすれば、
「私、ヴィトンの紙袋をさぁ、3つか4つぐらい持って街を歩くの夢やねんなぁ〜」は
「私、人間やねん、生きてるねん!!!」
と同意義だった。
むしろ恥ずべきは私だ。
盗み聞きという
薄汚れた行為を働いている上、
彼女と同じように優越感や自己顕示欲、
承認欲求を持ちながらも、
さも、「これは純粋な創作です!」という
気概で文章を書いてしまっているのだから。

だが、ここで私の悪い癖の1つである、
"自らの正当化"をするならば、
彼女はヴィトンのショッパーを
持てたら次はエルメスに行くだろう。
そしたら次は時計か、車か、
それも手に入ればマンションか?
彼女の人間味を
発揮する対象、行為には際限がない。
高級品は買っても買っても
半永久的に生産されていくだろう。
だが彼女はいつか死んでしまう。
彼女が生きている間に全ての
高級品を買い切る事ができないだろう。
つまり、
心が満たされる事は生涯ないかもしれないし、
難しい言葉を使えば、
"限界効用逓減の法則"だ。
しかし、私の人間味を
発揮する行為は消費ではないから
理論上はこの法則に
あてはまらないと"今のところ"は思っている。

会話を続けよう。

彼が聞く、
「最近、音楽何聞くん?」

彼女は甘ったるそうな飲み物を
ひとくち飲んだ後に答えた。
「うーん、最近はK-POPしか聴いてない」

私は少し意外だと思った。
少し前の会話の中でスケボーを
始めたいと言っていて、
服装もどちらかといえば
ストリート系であったからだ。
つまりてっきり音楽の好みは
ヒップホップだと高を括っていた。
しかしながら実際に聴くのは
K-POPなのであった。

このお店のBGMは店内に似つかず
聴こえるか聴こえないかぐらいの
ボリュームでジャンルレスに
洋楽が流れている。
アコギのしっとり系の曲から
EDMに切り替わった瞬間、
彼女が恍惚の表情で
「あっ!この曲、めちゃくちゃ好き!」
と彼に述べ、すぐに口ずさんだ。

好きなもの好きと言うのは素敵だ。
1曲でも好きな曲があれば
音楽好きだし、
1本でも好きな映画があれば
映画好きと語っていい。
例えばそれがメジャーであるとか
マイナーであるとか問題ではない。

ただ、目の前で
ストリートファッションに
身を包んだ女性が、
K-POPが好きだと話しながら、
EDMを口ずさんでいるのを
見た私は心の中でこう思った。

いやパスタチャーハン定食か!

彼女の統一感に対して私は
無意識にツッコミを入れていた。

よくよく思い返してみれば
私が彼女の話にツッコミをいれたのは
それが初めてではなかった。

「2年ぐらいダーツにハマっててんけど、
もう完全に辞めてもうてんよぁ。
今はたまにするぐらいやなぁ。」

ちゃうねん、それやめれてないねん

「たまにボーリング行くねんけど
先輩らと1ピン100円でかけてやるねん、
ピン100とか可愛い方やけどな。
私、アベレージ150ぐらいやねん!
すごない!?」

えっ、カイジ?
いやほんでボーリングうまいんかい

幾度となくツッコミを入れていた。




私は喫茶店に入った時に
"些細なこと"ばかりを気にしていた。
いや生まれてからずっとだ。
過剰な自意識を持って生きてきた。
ずっと何かを気にして生きている。
その自意識が実生活に
反映される事もあれば
あくまで"意識"だけで
留まっている事もあるけれど
やはりそのことで常に少し
何かしらの生き辛さは感じている。

私は彼女に憧れた。
ボーリングのうまさにではない。
彼女のその自由さにだ。
たしかに彼女の話には
矛盾が多かったし、
多少、話を"盛っていた"だろう。
もちろん彼女には彼女なりの
人の弱さがある。
けれど同時に私のように"些細なこと"は
気にしない強さをもっていた。

結果的に私は少し彼女に
救われた気がした。

相変わらず私は店員さんに笑顔で
「ごちそうさまでした。」
と言い放ち、喫茶店を出た。
時刻は11時20分、外は雨。
傘を持っていなかった。
お昼は何を食べに行こうか。
財布には小銭しか入っていない。
真っ直ぐ家に帰ろう。

もしも私があの時、
彼女に話かけることができたら
何を言っただろうか。


歌が好き、
ダーツが好き、
ボーリングが好き、


私は彼女にきっとこう言っただろう。


「絶対ラウンドワン好きやんな?」

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