発信できる場所
日々、思うことがある。
思っていたことがある。
それらは大半がその日の内にでも消えてしまうような、とりとめない何でもない事であるのだけれど、そんなとりとめのない事ほど僕は共有したくなる。
ただ、それらは何も発信せず、誰に届くこともなく、ただただ自分の中でふと思っては消えていくことが多い。
とりとめのない事は鮮度が命だ。
重要でないことほど、その場の鮮度で言い放ってしまいたい。
そもそも僕は人に発信するという行為自体が下手なのだ。
言いたいことをまとめようとすると、とたんに言葉が逃げていく。
それに、それほど言葉に情熱をこめていない事も原因だ。
どうしてもこれだけは伝えたい、というほどの事は特にないのだ。
こう言った言い方は上から目線で、あと凄く歳をとったような気がして嫌なのだけど、若い頃はそれこそ伝えて自分をわかって貰いたい、という気持ちが強かった。
それこそインターネットを初めて触れた頃、個人のホームページで日記を綴っていた。
まだブログという言葉すら広まっていない時代だ。
内容はただひらすら出てくる言葉を羅列しただけであり、大半が病んでいた。
あと政治的な事も書いていた記憶がある。
ただ当時は自分の言葉すらもたない何も知らない学生である。
今思えば口当たりの良い言葉に調子を合わせて、ぶつけやすい相手に怒りをぶつけていただけだ。
そんな学生ではあったが、誰かに伝えたいという情熱は確かにそこにあった。
それは今現在全くないとは言わないけれど、どこかで人に期待しなくなった時、言葉に込める情熱も薄くなったような気がしている。
生きやすくはなったのだけど、失った何かもあったように思う。
とはいえ最近また欲が出てきたのだ。
自分を知ってほしいと思う欲はまだまだあったようだ。
それと同時に、自分を伝える場所が意外とない事に気がついてしまった。
だからこうして再び言葉を綴っている。
まあそんな感じである。よろしくね。