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三行塾・宇宙一チャラい仕事論トークショーの出来事

田んぼに水が張る季節になりました。
近藤先生を思い出します。
近藤先生の話の衝撃からもう少しでひとつきがたとうとしています。熾火(おきび)のごとく残っています。

近藤先生はちょっと怖そうな方なのかなと想像していました。
三行塾のはじまり。少し早足で、会場に入ってこられた近藤先生に、大変緊張しました。

本を書くための「五箇条の御誓文」で講義は進みます。五箇条の一つずつの前に噺のまくらがあり、笑いを交えて話しているうちにすいっと、真剣に入りまた笑いが差し込まる、グルーヴに引き込まれました。

五箇条の御誓文
1・調べれば書けるーマクベス夫人のファーストネームがないのを調べる
2・調べたことで書くなー調べて書くと早く古くなる。ワールドは妄想。
3・注文なく書き始めろー自分の中で燃えたぎるもの。注文があっても没になる。
4・いつも心に章立てをー自分のうわ言を聞きもらすな。第一稿から大ぶりする。水を得た魚雷。
5・本を読めー本は残る。強烈に残る。

近藤先生は言う。

命をかけている。
自分が命をかけているものには読者がつく。
もっと読者を信頼する。

三行塾「宇宙一チャラい仕事論」刊行記念特別講座よりメモ

笑いと涙の間に、「命」の言葉が入る。「命をかけている」近藤先生からの言葉のグルーヴで心と頭は揺れっぱなしだった。

本は永遠に残る?100万年後に人類は残るか。
永遠のものはない。ましてや本をや。
でも、永遠の瞬間はある。
愛しぬいた時は、誰にも否定できない。これ、愛したわって。
このために書いている。

三行塾「宇宙一チャラい仕事論」刊行記念特別講座よりメモ

永遠の瞬間。
翌日、上野に泊まっていたので、上野の国立科学博物館に行った。地球誕生、恐竜、人類、宇宙、未来の展示を見る。
永遠はない、いつか地球もぶっ壊れるのだろう、が、永遠の瞬間の感覚が分からない。絶滅した動物や吊るされた恐竜の骨を見る。自分はどうするんだろう、なんで書いてるんだろう。

月曜日は、青山ブックセンターで「宇宙一チャラい仕事論」トークイベントがあった。楽しかった。

りり子さんが、近藤先生からの手紙を持ってきてくれていた。封筒のブルーがきれいなとても大切なお手紙、その手紙の一文を読んでくださったことに感激した。
近藤先生とりり子さんは喧嘩することもあったようです。
近藤先生とりり子さんがいて書籍が完成し、そのグルーブが今響く。

りり子さんが、

(宇宙一チャラい仕事論を作り終えて)もう逆さに振っても土瓶のかけらも出てこないです。もう何もないです。

と言われていた時、ぐっときました。
こちらのりり子さんの思いに涙が出ます。

「宇宙一チャラい仕事論」に出てくる噺はどれもとても好きでした。

いい加減、時間が過ぎたころ。友川さんの言葉を受けて、「それは『走ることでしかそがれていかないもの』という意味ですよね」と返した。友川さんの競輪詩(「夢のラップもういっちょう」)からの引用だったが、うれしそうに目の奥で笑って、「今日はもう帰っていいよ」と言った。

「宇宙一チャラい仕事論」P.184

「今日はもう帰っていいよ」。たまりません。この場面はしびれます。

「宇宙一チャラい仕事論」この著作のグルーヴは、友川カズキさんの「夢のラップもういっちょう」と聞く。

トークイベントが終わり、名残惜しく家のある家路を急ぎ夜行バスに乗り、興奮して「夢のラップもういっちょう」を聞く。
永遠の瞬間。命をかける。自分の「骨」を知る。私は自分の骨を知らなかったことに気づく。遊びも仕事も勉強も遊び仕事勉強の自分の大三角形は小さすぎる。

でも、骨を知ることができないまま命尽きたらカッコ悪い、無駄骨に終わるのが怖いとためらっていました。

三行塾で学び近藤先生の話を聞いて、いや「骨」を知る過程で終わったとして、完結しなくてもよいではないか。
良く、生きる 善く、生きる 好く、生きる 
存在しない道を、書く
書いて言い訳する。遊ぶ。

近藤先生はちょっと怖そうな想像から、怖そうだけどやさしい親切な人に変わった。
おもしろやさしくて、命をかけている近藤先生。ありがとうございました。

一枚だけ撮影しました、ありがとうございました。

#三行塾
#宇宙一チャラい仕事論


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