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吉岡 鑑興(よしおか あきおき)

生誕 不明。死没は1578年耳川合戦の討ち死に。父は吉岡 長増(よしおか ながます)。
父の死後、1576年に大友義統(おおとも よしむね)の加判衆になっている。妻は吉岡 妙林尼で豊薩合戦で活躍し秀吉に会いたいと言わせた女傑である。
元々、大友宗麟の時に側近であったようで1569年に立花城攻略の際の雨中在陣を賞されている。
あまり活躍はないのだが三老に選ばれるところから宗麟の重臣的な立場で息子義統との対立の際は頭を痛めていたのではないかと思われる。
父、吉岡 長増の役割を引き継いだような立場で外交にも務めていたよう。
しかし、1578年耳川合戦では参陣し、討ち死にしている。
家督は息子 甚吉(じんきち)がついだ。

全盛期の宗麟の時代から側近でおそらく田原親賢(たばる ちかたか)と肩を並べる重臣だったのではないでしょうか?
宗教観などが書かれていませんが妻が死後出家するあたりから反キリスト派
だったのかな?
キリスト教に傾倒していく宗麟とぼんくらの義統。鑑興たちの酒場の愚痴が目に浮かびそうな気がします。

吉岡 鑑興でした。

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