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島津勝久と沖の浜

戦国時代初期の島津家第14代当主。生誕は1503年9月から没年1573年11月となっていますから戦国時代にしては長寿の70歳まで生きています。第13代当主島津忠隆が急逝したため、急遽、島津家宗家14代当主となります。しかし、五年で家督を養子の島津貴久に譲ると隠棲。すると嫁の兄弟の島津実久が反対して一年で島津貴久を追い落とし、再び守護職を返り咲きます。しかし、このことで反発に合い、さらには家臣と揉め、一人浮いた存在になります。

そのため、最大の協力者、島津実久が反乱。勝久は逃亡、戦いを繰り返して落ち延びていきます。その先は豊後の国。宗麟のもと。勝久のお母さんは大友政親の娘なのです。勝久は沖の浜にて悶々と過ごすんです。おそらく、勝久の保護は宗麟が島津との同盟の上で必要な駒だったのでしょう。宮崎の伊東氏が攻め込まれた時は協力していますが、勝久が逃げてきた時は協力していませんもんね。

島津勝久が死んだのちに島津との同盟関係は崩れていきます。ちなみ島津勝久が死んだ場所は沖の浜。


あの瓜生島ですね!

のちに慶長地震で沈没する豊後のアトランティスといわれる場所です。

その後、勝久の息子たちは島津の家臣。大友の家臣から徳川家の家臣。となっています。島津家と大友家にはこのようなつながりがあったのですね。



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