見出し画像

大友宗麟は天下を目指していた⁉︎

色々大友宗麟の歴史観ていたら。大友宗麟は天下を取るって狙っていたってなりました。なぜ?って。大友宗麟は父親を殺した疑惑を抱えて豊後の戦国武将として名乗りをあげました。その数年後には叔父さん殺害。弟もライバルの大内家の跡継ぎに据えています。宗麟の中では九州と中国地方を抑えて近畿地方を抑えれば天下を取れると考えていたと思われます。このときバリバリの20代から30代だし。俺についてこい的な勢いだったと思われます。ではどこで天下を諦めたのか?毛利の戦いなのか?龍造寺なのか?島津なのか?となります。答えはわかりませんが戦に勝てないのは致命的だったと思われます。宗麟は当時では最新鋭の武器の保持者です。鉄砲、大砲を持っています。防衛だけの戦国武将ではないのがこれでもわかります。しかも、外国の人にお願いして城攻めに艦砲射撃までお願いして実行しています。ですがこれでも戦に勝てない武将でした。優れた部下に恵まれながら、うまく使いこなせない人物だったようです。晩年はそこに気づいて西洋の戦術を使いたかったようですが、部下には伝わらず。最終的には外交で大友の存続を望んだようです。いろいろ惜しい人物だったのでしょう。でも、晩年のキリスト教に傾倒してからは人間味のある人物になったようで地域の住人には愛された人物になったと思われます。大友宗麟が天下とっていたらキリスト教が天下を取っていたのでしょうか?かなり歴史変わったでしょうね〜。

よければサポートお願いします。