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謎多き国侍 玖珠衆

清原正高を始祖とし、長野党、長野十二家と呼ばれ、その氏族は二十四家ともいわれた。大友宗麟の頃は清原一族と称して土豪として存在。戦国時代では国侍として勢力を誇り、大友家に従い、島津家侵攻の際には、角牟礼城に籠城。角牟礼城を守り切っている。

大友義統改易に際して、その所領を没収され、帰農したり、他家を頼り離散するなどして史実から消えた武士団です。

さて、大友宗麟時代を書くならこのあたりの国侍が一番に面白いですね。もともと清原正高が左遷されてきた土地ということで辺境地であったのですが、豊後、肥後、筑前などに通じる日田の近くであったことから山賊くずれの傭兵や忍者みたいな侍がいたのではと思います。また、地名から角隈石宗の出身地だと思います。角隈石宗の出身地だとすれば国侍ながらも島津侵攻の際に、降伏せずに戦うところも頷けるかと思いました。まあ耳川合戦の際、動員された兵が玖珠衆らしいので降伏し辛い状況ではあると思います。

ちなみに秀吉が天下統一した際にこの地を与えた武将が毛利高政です。キリシタンで築城名人。一説には忍びではともいわれた人物です。

更には徳川家康の時代では来島康親が統治します。こちらは有名な村上海賊の末裔です。

忍者に海賊くずれ、玖珠衆がいなくなる訳ですね。

誇り高き名門清原一族としては使える主君が格下では話になりません。

その後も玖珠はさまざまな逃亡者の隠れ家になっています。

記録があるので有名な左遷地域なのでしょう。

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