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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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#大内義隆

大内義長(おおうち よしなが)

大内義長(おおうち よしなが)

生誕1532年。没年1557年。
大友義鑑(おおとも よしあき)の子。大友義鎮(おおとも よししげ)の弟。幼名、塩乙丸(しおおつまる)。元服の際には将軍 足利義晴より偏諱を与えられ、大友 晴英(おおとも はるひで)と名乗る。

父の義鑑の妻が大内義隆(おおうち よしたか)の姉妹であったことから大内義隆の嫡子が亡くなって(1543年)すぐに猶子(ゆうし)として大内氏に出されている(1544年)。しか

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フランシスコ・ザビエル

フランシスコ・ザビエル

大友家臣団を紹介していく中でこの人物の紹介をしなくてはいけないのかも?と思いましたので紹介します。
昔の教科書のイメージ的には頭がはげて(トンスラというスタイル)、海外からわざわざキリスト教を布教するために来た人物です。常に宗麟の傍らにいて聖書もって、ことあるごとに「アーメン」と言ってるイメージがあります。漫談の際にはそのイメージを誇張して書いています。
大友宗麟が最後までその姿に憧れ、ある意味、

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ラブレターを間違えて妻に送った武将

ラブレターを間違えて妻に送った武将

ラブレターを間違えて妻に送った武将。なんて間抜けな…。

その武将の名前は

大内義隆さんです。大内氏は中国地方の戦国大名です。

大内さんのお姉さんが大友さん(宗麟の父ちゃん)の奥さんだったとかで大友さんの次男坊を大内家の跡取り候補に入れたりした人物です。

貴族主義、文治政治を進めて、大内文化という文化を開花させました。まあ、そんなことしてたから身内に反乱起こされ、毛利元就さんが台頭してくるの

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