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事故肯定

「私が褒めない教育をしてきたから、この子自己肯定感すっごい低いんですよ~AHAHAHAHAHAHA」

春に私の入学祝いとして訪れたお寿司屋さんで、母が大将に向けて言い放った言葉である。

少々回っていた酔いは一瞬で完全に覚めた。
そういえば私は母に褒められた記憶が無い。物心つく前から母子家庭なので、即ち親から褒められた記憶が無い。これって異常なことではないか?
思わず、「え、何してくれてんの?」と言うと
「褒めない方が自分に対して否定的になって、認められるために努力できる子になるかと思って(笑)」と返された。

母はすごい。狙いは完全に的中している。
褒められるといつかボロが出るのではないかと怖くなってしまうのは、
恋人には自分よりあの子やあの子やあの子の方がお似合いなのではないかと思ってしまうのは、
どの分野でどれだけ頑張って結果を出しても、そのフィールドにおいて(は)自分より優れている人と比べて自分を認めてあげられないのは、褒めてあげられないのは、好きになれないのは、
母の20年間の教育の賜物だったのだ。

ふざけるな、という言葉しか出てこない。

人に認められることが、自分を認めてあげられることより価値がある、と本当に母は思っていたのだろうか。

それなら何故、弟のことは惜しみなく褒めちぎっていたのだろうか。

女手一つで何不自由なく育ててくれた母には本当に感謝しているし尊敬している。
でもこのことに関してはどうしてもやりきれない気持ちになってしまう。
常在しているために高校までは気づけなかった、そして浪人中は第一志望に受かりさえすれば解消されると信じていた私の生きづらさが生まれた瞬間から刷り込まれていたものだったというのなら、もう、解放される術は無いではないか。

深夜、間近に迫った人生初ライブに向けてスタジオで個人練をして、それでも求められる水準には到達できず、焦燥と自己嫌悪でいっぱいになりながら自転車を漕いでいたら冒頭の発言が脳内再生されて、やるせなさがはち切れて、勢いで書いてしまった。

だからこの文章にオチは無いし、私が自分を救える画期的な方法は見つからない。
取り敢えずドラムも短歌も勉強も外見も何もかも、手あたり次第限界まで頑張るしかないのかな。
ああ、これが。


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