見出し画像

【質問箱へのお返事(1)】大学に勉強を求めているあたり、国立大学志望だったんですか?

noteに興味深い質問をお寄せいただきました。

「国立大学志望だったんですか?」

メタ的にはもちろん理解できるものの、よく考えてみると理解に苦しむご質問です。

「国公立だから勉強する」「私立だから勉強しない」常識への違和感

大学受験を考えるときに、大きく考える軸が2つあります。大学設置者(というより実際には入試形態)の「国公立」と「私立」。もう1つの軸は学問系統の「文系」と「理系」。

つまり、大学には大きく分けて「国公立文系」「国公立理系」「私立文系」「私立理系」が存在することになります。

以前も記事にしたとおり、私は学習院大学 法学部政治学科に在籍していました。学習院大学の設置者は学校法人 学習院ですから学習院大学は私立大学で、法学や政治学は文系に属します。したがって、私が所属していた学部・学科は「私立文系」に分類されます。

その学習院大学 法学部政治学科で「真面目な学生は指を差して笑われる」とか「授業を前列で受けていた友達は陰口を叩かれていた」といった現実に絶望したことがありました。

そして、往々にして私立文系は「遊んでばかり」、国立文系は「真面目に勉強している」印象を持たれがちです。おそらく、ご質問の経緯も、この「常識」に基づいたものでしょう。

でも、考えてみたら本当に不思議な「常識」です。大学の設置者に関わらず、大学は教育と研究の場。私立だから勉強しないとか、勉強したいなら国立とか、その前提からして、本来は間違っているでしょう。

高等教育機関である大学において真摯な姿勢が揶揄されるとしたら、その大学は設置者に関係なく存在意義を自己否定していると言えます。しかも、私学助成で税金から運営費用を得ているのなら、社会に対する背信行為とも形容できます。さらに、大学は入学広報や入試広報において、教育研究機関や学習環境としての優位性をアピールしているわけで、「入学してみたらそんなことはなかった」としたら、これも受験生・学生およびその関係者を騙して受験料、入学金や授業料を得る詐欺行為とも言えるでしょう。

したがって、大学は設置者に関係なく教育研究機関として「勉強できる場」でなければなりません。もちろん、実際に私立文系は「遊んでばかり」、国立文系は「真面目に勉強している」印象を持たれがちで、そのような実態も否定できません。ただ、いずれにしても、設置者に関係なく、大学は「勉強できる場」でなければならないと断言します。

「理系は頭が良い」「文系は頭が悪い」も、本当はおかしい

そして、この大学設置者のように「片方は勉強する」「もう片方は遊んでばかり」という、イソップ寓話の『アリとキリギリス』を彷彿とさせる認識は文系と理系にも抱かれがちです。前者は遊んでいるとか、後者は頭が良いといったイメージは、Webを徘徊していても目にします。

でも、文系や理系は学問の系統でしかありません。例えば、法学や文学は前者に、医学や工学は後者に分類されますが、これらはあくまで「分類」に過ぎず、どっちが勝っているとか、どっちが劣っているとまでは結論づけられないでしょう。弁護士や会計士は法学や会計学といった文系の学問を用いる資格・職業ですが、それが医師やアクチュアリーといった理系の学問を用いる職業に比べて劣るはずもありません。一方で、言わずもがな医師もアクチュアリーも、高い能力を要する資格・職業です。

さらに、文系や理系が学問系統に過ぎないことから、これらは社会において相互補完的な関係にあり、例えば文系があれば理系は要らないとか、理系に全振りすれば良い、といったものではないはずです。社会には弁護士も医師も「どっちも必要」でしょう。

そもそも、文系も理系も、完全なる二律背反の系統ではないはずです。マクロな観点では系統立てることができるとしても、ミクロに見ていけば相互に「侵食」していると言えるのではないでしょうか。例えば医療の現場において日に日に重要性を増す医療倫理は哲学の素養も求められますが、この哲学は文系の学問で、これは理系の学問に文系が侵食している事例とも言えます。もちろん、逆の事例も考えられるでしょう。

また、人類学、心理学や経済学は「文系とも理系とも考えられる」両義的な学問であり、文系的・理系的手法の両方を用いたり、学生や研究者には文系・理系両方の要素が求められたりします。これらの学問は「文系でもあり、理系でもある」と言えるはずです。

故に、「文系だからちゃらんぽらん」とか「理系だから冴えている」みたいなレッテルは本来、実に不毛なはずです。でも、確かに、高校において、いわゆる「頭が良い」とされる生徒は理系に進みがちな現状があるのかもしれません。いくつか理由はあると思いますが、ここでは割愛するします。

いずれにしても、文系や理系でも、好きな学問であればレッテルを気にせずに勉強できるべきであることは、間違いないでしょう。

ご質問への回答

前置きが長くなってしまいました。

実は、人生において国立大学を志望したことはありません。いわゆる「3科目」と言われる、英語、国語、地歴公民のセットで大学受験に臨んでいました。

※本記事には「投げ銭」を設定しております。下記のボタンから記事を購入していただくと、私に届きます。また、その下にある「サポート」から私をご支援いただけると幸甚に存じ上げます。

ここから先は

0字

¥ 200

ご支援ありがとうございます。 サポートは学業や研究のほか、様々な活動に充てたいと思います。 今後ともご期待に添えるように精進いたします。