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【企画参加】おとなも夏の作文、書いてみませんか? #子どもに伝える私のしごと 握手しよう。

小学生のころ、体育館で聞いた校長先生の言葉にわくわくしたことがある。

「みなさんが大人になるころには、太平洋と日本海を結ぶ架け橋ができる!」

日本地図の中部地方を拡大したものを壁に貼り付けて説明してくれた。

その地図には、絵の上手な先生が書いてくれたのだろう。マンガで日本海さんと太平洋さんが富士山の上空で握手をしていた。歓喜とともに同時に山梨が足を引っ張っていることも子どもながらに理解した。

そうか!橋はいろんなものを繋げるんだ!

海へ行くときは、静岡。
雪山へ行くときは、長野。
遊園地へ行くときは、東京。

この選択肢しかなかったぼくに羽根を与えられたような瞬間だった。

それから数年経って、橋に魅了される。それは下から見上げたときだった。

大学の最後の夏が終わるころ、友達と西日本一周した。名古屋から始まり日本海をずっと西に進み、瀬戸内ー太平洋で帰ってくるというルートだった。金は無いが時間が限りなくある大学生しかできないような旅だった。

とは言っても、行きでじゃんじゃん美味しいもの食べたり、片っ端から観光したので、九州入って金も時間もなくなり、疲れもあったので帰りはフェリーで帰ることにした。

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はじめて見上げた橋が、瀬戸大橋と明石大橋だった。

たしか記憶では、夜だったと思う。
それはもう、満天の星空に向かって伸びる一本の梯子のような…。たくさんの部材が組立体操のように組み重なって伸びているさまは、美しいものだった。

会社を決めた理由だった。

それからぼくは、山梨でいちばん大きい橋屋さんに現場監督として就職した。社内の人はもちろん、他の会社の人たちと一緒にひとつのものを作り上げていくことは、摩擦や衝突もあってなかなかうまくいかない。無知はバカにされる。それでも負けたくない、楽しくやりたい、その一心でなにもわからない若造が親父くらいの年齢差のある職人さんや発注者さんに向かっていった。いま考えると若さ(バカさ)だったかもしれないが、血や肉となって今に生きていると思う。

休みは日曜日しかなくて、片道1時間かかる現場に誰よりも早く到着して、そのあと会社に残って資料を作成した。たぶん時給に換算したら300円くらいかもしれない…(笑)が、ぼくに関わるすべての人が安全に気持ち良くスムーズに仕事してもらうために必死だった。この現場が終わったら辞めよう、なんて毎回考えていたが、橋が無事に架かってみんなでお酒を飲むと何もかも吹っ飛んだ。完成した橋をあらゆるアングルからプロのカメラマンになったつもりで撮ったものだった。写真を見ただけでどこの橋か、いまでもわかる。さいきんは自転車で現場に向かうことが楽しみのひとつとなっている。

残念なことに、ぼくが入って5年で倒産しまい、まったく違うジャンルである製造業に就職したが、いまの職場でも、気持ち良く仕事をしてもらうことを心がけている。土日休みや夜勤のおかげで時間ができ、あおきえんのメンバーとして農業を手伝えることができている。

構想から30年とちょっと…。中部横断道が開通した。

まだまだ細い血管で、山梨は素通りされるだけかもしれないが、血は間違いなく通っている。

校長先生の話がタイムカプセルのようにぼくの頭の中に入ってくる。

仕事で橋を架けることはできなくなったが、まだ知らない誰かと握手をするために、人と人がつながる『見えない橋』を架けたいと思っている。

メディアパルさんの企画に参加させていただきました。

やりたいことも見つからないまま大学生になって、ぷらぷらとバイトしていたぼくが、橋と出会って自分の心のままに橋を架けてみたい!と強く思ったときのことを書きました。

やりたいことこそ自分のなかにあると思います。

#子どもに伝える私のしごと


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