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フジロックへの批判で思うこと

今回、十何年フジロックに参加して感じていた違和感が露になった。

後述するが私は今年のフジロックには参加していない。

フジロックでモッシュやダイブをすることは私の存在証明である。
フジロックの4日間(前夜祭が一場楽しい)が私の日常で、
その他が私の非日常だった。

私は邦楽をあまり聴かずUK、USしか聴かないので、
UK周りのアーティストがほとんど来ないので、今年、二年連続での不参加となった(私の音楽ライブラリは、こちら)。
フジロック参加回数は10数回。
初めてはミッシェルガンエレファントの伝説のLIVEが行われた1998年の豊洲である(ミッシェルガンエレファントのモッシュピットで他人の脚を踏んで足首捻挫したのも良くも悪くも良い経験だった。)。
過去にはモッシュし過ぎて、疲労骨折したこともある(今と違って身体が弱かった)。
今年、フジロックが強行開催され、
保守系界隈に集中放火されて私はとても悲しい。
批判されるのは、フジロックの主催者スマッシュのスポンサーにテレビ朝日がいるからだ。
反日活動、
韓国の反日アーティストが出たり、
アジカンが反政府的な歌をやったりするのが当たり前になっているのは、
テレビ朝日がスポンサーだからだ(これやんないとスマッシュは運営できないのかもしれない)。
私はこうゆうフジロックは正直気持ちが悪かった。
ダブルスタンダード全快の左翼のフジロックの振る舞いには、悪寒しかしなかった。
何でもかんでも批判して
負の感情を政治のせいにして
混乱を助長するのに違和感しか感じない。
彼らは批判だけして建設的な話をしない。
建設的な話をすると化けの皮が剥がれるからだ。
化けの皮が剥がれそうになると
暴力を厭わない(言葉の暴力を含む)。
そんなもんロックと言えるか?
カッコいいか?
そんなもんロックじゃないし、
ダサいし、カッコ悪い。
アジカンは自分自身でロックを否定しているように私は映る。

ロックとは自由意志の力だ。
だが自由と責任は表裏一体であると私は考える。
何か自由に発信した時、あらゆる批判に対して、
理論武装し、適切に対処しなければならない。
ただ残念なことに一部の反日、反政府的なアーティストたちは、
理論武装を適切にできているとは思えない(彼らは理論武装できていると思ったとしても主張が筋が通っているとは思えない)。


私はこれはフジロックの悲しい側面だと考えている。
フジロックという天国を汚しているとすら感じている。

なので
スマッシュ、テレビ朝日と手を切って欲しいんだよなあ(まあ無理だよな)。
だって、
テレビ朝日は
五輪にあんだけ反対したのに
フジロック全然反対しないわけでしょ?
ダブルスタンダード全快じゃねーか‼️
スポンサーだから、批判しませんって‼️

正直、フジロックが全て悪いって論調にされたくない。

今までフジロックに参加した人々は、世界に賞賛されているし、

世界第三位のフェスになったことすらある(ソースはこちら)。

これはテレビ朝日が貢献したのではなく、今までフジロックに参加したきた全ての日本人が貢献したのだ。

しかし、一部のアーティストは、テレビ朝日の傘に入った状態でフジロックを十数年汚し続けている。

このままだとフジロックは完全に社会悪になり、開催できなくなるだろう。

もう私の日常は二度と戻らないのか(泣)

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