アチェに行ってきました!
2019年4月16~17日にインドネシアのアチェに滞在しました。
アチェも日本語サイトの情報が少なく、あっても「イスラムの戒律が厳しい地域」というレッテルみたいなのしかなく、少し心配しながら行きましたが、アチェの街はとても落ち着いた雰囲気で、砂ぼこりが少なく、車やバイクの渋滞は多くなく、かなり過ごしやすい街でした。
2000年前半に2年間インドネシアに駐在し、出張でインドネシアのあちこちの地方都市に行きましたが、他の都市に比べても何となくですが長く住んでもいいかなと思える街です。
2019年4月15日の夜のフライトで関西を経ち、翌16日朝にバンダ・アチェに到着しました。
バンダ・アチェに到着してから、すぐにFerry乗り場に行き、ウェー島(サバン)を日帰り(その様子はこちらから)。夕方から翌17日にかけてちょうど24時間くらいアチェに滞在しました。
アチェ市内の地図はこんな感じ。探したんですが、あまりいい地図がなく、表記もインドネシア語で申し訳なしです・・・。
アチェを知る上で、押さえておきたいポイントは以下の3つです。
ひとつ目は、スマトラ沖地震。
2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震で、巨大津波に襲われ、アチェの街が甚大な被害を受けました。死亡者は13万人、負傷者は約10万人。阪神大震災での死亡者が6400人。東日本大震災が18000人ですから、いかに被害が大きかったかが分かります。
ふたつ目は、独立紛争。
アチェとインドネシア政府との独立紛争は、戦後から2000年に入るまで長きに渡って続いていましたが、アチェ人武装勢力(自由アチェ運動:GAMなど)は地震後に停戦を宣言。政府もこれに応じ、世界各国から支援が入り、復興が進みました。
地震や津波が紛争解決につながったともいえます。結論だけ見たらそうでしょう。
でも、これまでの長きにわたる紛争を考えると、その一言で片づけるのはあまりに短絡的すぎます。
今の平和なアチェが長く続いてくれることを祈ります。
3つ目は、後半に出てきます。
それでは、アチェのおすすめ観光スポットをご紹介します。
①PLTD Agung1
アチェでは、大地震の出来事を風化させずに世界や若い世代に伝えていこうと積極的です。津波の被害にあった場所をそのまま残し、観光スポットにしています。
その代表的なものが、この「PLTD Agung1」です。
大型ディーゼル発電船の名前が由来だそうで、沖から5キロ先のここに流れ着きました。
上にも上がれて、中が簡単な資料館みたいになっているそうです。
ちょうど来ていた子たちに「これだけ大きな船が沖から流れてきたということは、家々は大丈夫だったの?」と聞いたら、「船が流れてくる前に、津波で全部家は流された」と言っていました。なんとも間抜けな質問をしてしまいました・・・。
ちなみに、上の地図にもある通り、ここは「TSUNAMI EDUCATION PARK」となっています。震災から目をそらさず、観光に来てもらおうと奮闘中です。観光に力を入れるなら、街中にちゃんとした観光案内所が欲しいですね。
②家に乗り上げた船
震災遺構船シリーズの2つ目はこれです。
さっきの①より海に近い、内陸に1キロほどのところあります。文字通り、家の上に船が乗っています。
津波の高さは、最大20mだったと言っていました。マンションなら7階建てくらいの高さ。あらためて津波の怖さを実感します。
③アチェ・コーヒー@Dhapu Kupi
「本場のアチェコーヒーが飲みたい」と運転手に行ったら、「ならここだ」と連れてきてくれたところが、ここDhapu Kupi。
インドネシアは「隠れたコーヒー大国」で、トラジャやコピルアックは聞いたことがあるかもしれません。ここアチェの「アチェ・ガヨ」はトラジャと並ぶくらい有名です。
そんなアチェガヨですが、「Sanger」という飲み方があります。若い世代に安価で、より親しみやすく飲んでもらうために、コンデンスミルクを入れた甘いコーヒーです。
面白いのが、このパフォーマンスで、コップの底にコンデンスミルクを入れ、このコーヒーメーカーを上下させてかき混ぜて、完成させます。
出来上がったのがこれ。甘いですが、コーヒーの香りはしっかり感じれて、とてもおいしい。暑い南国にはぴったりです。
④ミー・アチェ@Hermes Palace Hotel
最初は、Mie Razaliで食べたいと思っていたのですが、あいにく閉まっていたので、もうひとつの候補先、Hermes Palaceホテルに行ってきました。
幸いというかなんというか、広いダイニングスペースにお客さんは私だけ(苦笑)。翌日は大統領選挙の投票日で休みになるので、早く帰ってしまったとのこと。
ミー・アチェは当地のソウルフードで、太めの麺とカレー風味の味付けが特徴で、パクパク食べれます。カニが一匹入ったのが有名ですが、エビとイカが入ったものにしました。
これも大当たりでした。ジャカルタやバリ・ジョグジャなどで食べるミーゴレンとは明らかに違う味でした。
ミーアチェがこれだけおいしいのなら、次はMie Razaliのを食べたいです。
翌日の朝からホテルで自転車を借り(2時間無料でした)、市内をJalan jalan(散歩)しました。結構いい自転車でテンション上がりました!
⑤アチェ津波博物館
2004年に壊滅的な被害をもたらしたスマトラ沖大地震を後世に伝えるために2009年に建てられました。Tsunamiは世界公用語。ここアチェでも普通に「つなみ」は通じます。
残念ながら、大統領選挙の投票日当日でお休み。次回の宿題となりました。かなり充実しているらしいので、いの一番に行かないといけません。
⑥ブランパダン広場
津波博物館のすぐ近くに、大きな公園があります。街中に大きな公園がある街はステキですよね。
この公園は別名「世界に国にありがとう公園」。
地震・津波後に支援をした53か国の国名・国旗・各国の言葉で「平和よ、ありがとう」と刻まれていて、各国への感謝の意を伝えています。
公園の周りにランニング・サイクリングロードがあり、このように国ごとに掲示があります。
日本のを探していたら、すぐ見つかりました。何も支援をしていませんが、日本人としてはちょっとうれしいですよね。
この公園内にある飛行機は、1945年にインドネシアがオランダと独立戦争を戦っていた時に、アチェの人々は寄付を募って、飛行機2機を買って共和国軍に贈った内の1機(もう1機はジャカルタにあると、下の画像のパパが言っていました)です。
その頃はまだ中央政府と関係良好だったんですね。アチェは天然ガスなど資源が豊富で、地域として裕福だったから寄付もできたんでしょう。そこから半世紀以上紛争の道へ・・・。中央政府がもっとうまくアチェとうまくできなかったのか?と、私なんかは思います。
⑦バイトゥラフマン・グランド・モスク
アチェを知る上で押さえておきたいポイントの3つ目は、厳しいイスラム戒律です。
アチェは、インドネシアで最も敬虔なイスラム教徒が多い都市で有名です。宗教警察が存在し、イスラム教に反する行為に対しシャリア(イスラム法)が適用される唯一の州です。賭博・飲酒・同性愛はもちろん、公然での男女の抱擁・パンクロックなども罰せられ、むち打ち刑が処されます。これがおそらく、世界或いはインドネシア国内からもアチェが距離を置かれる理由のひとつです。
そんなアチェ・ナショナリズムの聖地がこの「バイトゥラフマン・グランド・モスク」です。
東南アジアで一番美しいモスクと言われています。どうですか?立派でしょう!ジャカルタのイスティクラル・モスクの方がそりゃあ大きいですが、荘厳さではこちらに軍配が上がるのではないでしょうか?津波にも地震にも耐え、このモスクの上階に避難した人々も救ったというエピソードもあります。
モスクの中も入ることができました。
鍵のついていない自転車を盗られないように見張ってくれていた、庭師のおじちゃん、おばちゃんと門番と1枚。
⑧日本食カフェ@Hana
アチェ市内から少し離れた、シャアクラ国立大学などが終結している文教地区に、なんと日本食レストランがあります。ネットで偶然見つけて、喜び勇んでお邪魔してきました。
その名も、Hana(はな)。
広い敷地の中にある茅葺屋根が目を引きます。ここは料理を作るキッチンスペース。
緑に囲まれているので、どこも涼しそうですが、お話を聞いたここが特等スペースのように思います。最初は少なかった座席も、お客さんが増えるにしたがって増設し、今では50近い座席数になったとのこと。これだけ席があるので満席ではなかったですが、常に入れ替わり立ち代わりお客さんが入ってきます。この日は祝日でしたが、大学の授業がある平日などは満席近くなるようですから驚きです。
Hanaさんの看板料理は「たこ焼き」です!店先にも甘いソースの香りが漂ってきます。外はカリッと、中はトロっと。ソースも日本から輸入をしていては高いので、手作りしていると。さすが店を切り盛りしている方が大阪出身です。お名前などは後ほど。
これは、ラーメンスペシャル。
そして、これは宇治金時のかき氷。アチェで宇治金時が食べれるとは思っていませんでした。このかき氷。宇治抹茶だけは京都から取り寄せ、あとは小豆から餅からすべては現地調達していると。すごくないですか?
店を切り盛りするのは、石井久美子さん。年齢は聞いていません(笑)。
シャクアラ大で建築を教えるご主人のフダさんと小学6年生と5年生のふたりのお子さんとの4人暮らし。
大学卒業後、大阪でメーカー勤務をしていた久美子さんはバリ様式にハマり、京都のインドネシア友好協会に入会したときに、当時京都大学大学院に留学していたフダさんと出会いました。交流会で意気投合し、結婚し、会社を辞めアチェに移り住んで10年になります。
カフェ開店のきっかけは、シャクアラ大の文化祭で日本を紹介するために、お好み焼きと宇治金時を出店したら、大学生や地元の人たちに大好評。もっと日本の味を広めれたらと、自宅の庭で始めたのが2012年とのことでした。
バリ好きで大阪出身の久美子さんが構想・レイアウトを考え、建築が専門のフダさんが設計・建築する。この夫婦の連携も見事です。
先ほどの、たこ焼きが10,000ルピア、ラーメンが18,000ルピア、宇治金時が11,000ルピアと、現地の大学生でも気軽に来れる価格設定が魅力。
今では、25人の従業員さんがおり、その内半分以上は何と住み込みで、自宅の隣を増築し寝る場所などをつくり、食事も一緒に食べ、まさに寝食を共にしているところが一番恐れ入りました。
店内では至ることろで、話にHanaが咲き、日本食を通じて交流の輪が広がっている、日本の誇りだと心底感じました。
ある場所に、大きな炊飯器が段ボールに入って置いてあって、何だろうとみていると、「いやあ、今度カレーやってみようと思ってるんですよ!」と久美子さんの明るい声。異国の地で色々苦労はおありでしょうが、このバイタリティはどこから来るのか、今度じっくり聞いてみたいです。
⑨Kyriad Muraya Hotel
今回宿泊したホテルも紹介しておきます。
ここ最近できた新しいホテルで、きれいで清潔、ホテルのスタッフもみな優しくて、とても快適に過ごせました。
ただ、先述の公園(ブランパダン広場)や津波博物館までは、今回のように自転車ならすぐですが、歩くと少し距離があります。GrabやGojekなどの配車アプリ、路線バス(無料!)、タクシー、ベチャなどをうまく使えば移動は簡単ですが、歩いて行けるもっとロケーションのいいホテルがあれば、そこの方がいいかなとも思います。
⑩スルタン・イスカンダル・ムダ空港
最後にバンダ・アチェの空港だけ紹介して終わります。
ごみごみしていない、シンプルな普通の空港です。お土産物屋さんが数店、小ぎれいなカフェもあります。がっつり食事ができるところはありませんでした。国内線と国際線のゲートも全く逆方向にあるので、ある意味わかりやすいです。
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