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僕の弟がこんなに可笑しいわけがない

僕は地元ではいわゆる優等生に見えているらしい。地元の友人に仕事だったか学業だったかで相談、というか弱音を吐いた時、「お前(僕)にできないならこの場にいる他の誰にもできない」なんて言われたことがある。評価してくれているのはありがたいと思うが、買い被りすぎだと思う。だって僕は優等生に見えるように振る舞うのが得意だっただけだから。実家では僕の幼い頃、自営業の接客業で、かつ僕が店先でお客様の目に触れることも多かったので、特に母親のしつけが厳しかった。そんな環境下だったので、物心ついた頃には周りの子供よりも周りの大人からどう思われるか、どうすればいい子に見られるかを気にしていた。

そんな僕にある日弟ができた。6つ下の弟の面倒を見ることが平日夕方の僕の仕事になった。当時の僕にとっては願ってもない状況だった。弟の面倒を見ることで家族の中で世話される側から世話する側になり、貢献する側になったからだ。また、同世代との関わりを避けられる口実になったものよかった。嫌われたくないが、好かれる努力をするのも馬鹿らしい。同世代との関わりについてそんな風に思っていたからだ。

僕の弟は一言でいうと野性的だ。身体能力に優れたわけではないが、物事に熱中した時の集中力と創作したものから伝わる生命力がある。あとたまに理性で抑えきれずに暴走してしまうこととかもある。弟が年中くらいのある時、僕の携帯ゲーム機で遊んでいた時のことだ。6つ上の兄のゲームなので彼には難しかったらしい。負けが続いて悔しがっていた。悔しがる様子をかわいいなと思いながら横目で宿題をしていた。そしたら「ガシャン」という音がしたので顔をあげると、弟の手にさっきまで持っていたはずの僕のゲームが無い。まさか、と思い部屋を見回すと僕らのいた部屋の隅から反対側の隅にゲームが転がっていた。弟が悔しさのあまりぶん投げたのだ。小さい体のどこにそんな力があるのだろう。急いでゲームを拾い上げて状態を確認したが、2つある画面のうち1つが完全に潰れていた。

弟は図画と工作が得意だった。一番印象に残っているのは小学生の時の「くじら」という作品だ。地元の海岸で拾った流木に廃材の釘を何十本も打ち込んだもので、地元で古くから行われていた鯨漁の様子を表現したらしい。流木をくじらに見立てるという発想、釘を何本も使う大胆さ、そして成人の枕ほどもある流木を丸々使った迫力、学校にどうやって持っていくんだろうという先のことの考えなさに僕は圧倒されてしまった。同時に僕には無い才能を羨ましくも思った。僕は周りの目を気にしすぎるあまり内から湧いてくる想像力を自由に表現するのが非常に苦手だった。弟の絵も好きだ。彼の絵は線一本一本が少し歪んでいてまっすぐでない。その歪みの一つ一つが一枚の絵にした時、動きとなって静止画とは思えない躍動感を観る人に感じさせる。

高校・大学へと進学したあとも弟の進化は止まらない。工作の時に使用していたことから刃物に興味を持ち始め、初めて東京にいった時は上野でミリタリーナイフを自分で探して買ってきた。また、刃物のメンテナンスで研磨の技術をつけ、おかげで家の包丁の切れ味が買う前より向上した。都会でジビエが流行る前後に地元の漁師からイノシシの毛皮を譲りうけ毛皮の加工をしたり、精肉場に協力してもらい自分で捌いた鶏肉を僕にご馳走してくれた。ちなみに弟の最初のバイトは野菜の梱包のバイトだった。その発想は僕にはない。自分の興味に忠実に独自の道を突き進む弟。彼の最も身近なオタクとして、その動向に今後も目が離せない。

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