高貴な人格だとか良心ある人格などというものもイデオロギー的な見方にすぎない

マルクスを読んだ人間が、アキヒトは人格がよい、というブルジョワ的な意見を口にしたら、それはマルクスを読んでいないのだ。マルクスは、個人の意識は社会の総合とみているからだ。つまりは、社会からもしくは環境から離れて、高貴な人格だとか良心ある人格などというものは、それはブルジョワイデオロギーの体現化された意識にすぎないのだ。
つまり、メルケルがアウシュビッツを反省しようが、そんなものは、EUをリードする大国ドイツの威信の裏返しでしかない。
アキヒトにせよ、日本国憲法を守るといったのも、それは単に天皇という公務員に規定される法令遵守を述べたにすぎず、アキヒトが人格がよい、とか、何をギャグ言ってんですか、という話だ。

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