イエス・キリストは資本主義の勧めをマタイの福音書のたとえ話として語っているようにしかみえない

マタイによる福音書には、イエスがたとえ話として弟子に語られた話として、主人と僕の話がある。
要約すると、主人が旅に出るので、3人、僕がいるのだが、主人は能力に応じて、上から5タラントン、2番目には2タラントン、3番目には1タラントンを与え、旅に出た。帰ってきた主人は、僕から報告を受けた。5タラントンを与えられたものは5タラントンを増やし、10タラントンにした。主人はお前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう、主人と一緒に喜んでくれと、褒められた。2タラントンを与えられたものは2タラントンをさらに儲けた。2タラントンを儲けたものも少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう、主人と一緒に喜んでくれと、褒められた。1タラントンを与えられたものは、主人が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていたので、恐ろしくなり、タラントンを地の中に隠しておきました、と話すと、主人は、お前は、私が蒔かないところから刈り取り、散らさないところからかき集めることを知っていたのか、それなら、銀行に預けておけば利息付きで返ってきた、そのタラントンを10タラントンにしたものに与えて、この役立たずを暗闇に追い出せ、と主人は述べた。主人は教訓のように、誰でも持っているものはさらに与えられて豊かになるが、持っていないものは、持っているものまでとりあげられる、と語った。
私は、マタイの福音書のこのイエス・キリストのたとえ話の意味が何を意味しているのか、理解できない。
常識的に考えれば、ユダヤ式蓄財の方法を語っているだけにしかみえない。このマタイの福音書のイエスの例えば話は、資本主義のすすめ、または新自由主義のすすめ、とも読める。5タラントンを増やしたものは、地に隠していただけの男からも1タラントンを」与えられたので、0.1パーセントの利子が付いたのである。
イエス・キリストは、資本主義の伝道者なのだろうか。
古代ギリシャ哲学はこの逆の考えではないだろうか。1タラントンを地に隠していたものは節制に努めた。5タラントンを増やしたものは、減らすリスクもあるのだ、と。

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