礼儀正しさこそ、公共の福祉に責任を伴っているのである

ビジネスマナーだとか、英語に翻訳できないカタカナ英語を使うくらいなら、正しく「礼儀作法」と教えればよいではないか。
ビジネスマナーと教えると、会社以外では、礼儀は、いらないのか、と電車で大股広げて座るバカや優先席に平気で座り、目の前に赤ちゃんを抱いたお母さんがいるのに席を譲らない若者(バカモノ)が増えてしまう。
礼儀は、あらゆる場所で必要である。
それが自己という言葉には責任を含んでいる、の意味でもあり、公共の福祉に責任を伴う、の意味でもある。ちなみに、自己責任論は、トートロジーであり、論理が壊れている典型的な日本語である。

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