パウロが書いた手紙の様々からキリスト教が、国家へ包摂されていく過程がみえてくる

聖書を読めば、わかるが、イエス・キリストそのものは、女性を下に見る、というようなことはいっていないが、最後の晩餐だけは、12使徒の男たちとだけで食事をしている。イエス・キリストは積極的に女性信者を増やすために、女性の病気を癒したりしている。そして、夫に尽くせ、と余計なことはいわない。イエス・キリストは、「あなたの信仰は本物だ」と苦しむ女性へ言葉を与える。
だが、生前、イエス・キリストに出会わず、12使徒を迫害していた、ユダヤのファリサイ派のエリートでもあるパウロがキリスト教へ回心してから、パウロが、コリントの信徒への手紙、ローマの信徒への手紙、ヘブライ人への手紙などの書き物に、女性を下に見る視点がでてくる。パウロは、アダムは騙されていないが、イブが騙された、女は騙されやすい、とさえ述べている。
女性を下にみる視点が西洋社会に形成されたとしたら、パウロの書き物から発生しているのではないのか。
ついでまでに書くが、12使徒の一人であるペトロさえ、女性を下に見ている視点で手紙を書いている。
キリスト教が女性を下に見る視点が連綿と出来上がったのは、イエス・キリストの教えではなく、もともと、どの地域でもそうだが、男性社会が未開、古代時期なので、特に国家が強力に形成された地域は男性権力であるので、その反映に過ぎず、ペトロなどは皇帝を尊敬しなさい、とまで、書いている。これは、明らかにローマ帝国から迫害されないようにするため、または、庇護を受けるための政治的な言葉である。
キリスト教が国家に包摂されていく過程はパウロ、ペトロの手紙でよくわかる。

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