会話なんか形式的なやりとりでよい

単純に形式的に教えれば済む会話上の問題を、なぜ日本では空気を読む、とか、コミュニュケーションがなんとか、とか、全く無駄な思考をするのかよくわからない。
実際のところ、空気を読む、とか、コミュニュケーションがなんとかというのは、雑談や世間話には必要かもしれない、もっとも、雑談や世間話でも、へえ、そうなんだ、とか、なるほどねえ、とか、そうですね、とか形式的な言葉へ落とし込むことができる。
形式的に、朝は、おはようございます、とか、それで良い。形式なら考える必要もない。
話題に困ったら、聞いていれば良い。
聞き上手に見せるのは達人である。
もっと言えば、沈黙は金、という言葉もあるから、話せないからといって悩ませる日本社会がアホらしいんですよ。

結局、話せるようになったはいいが、そんな内容なら、話せるようになったのか、だ。
だったら、形式さえ、教えればよい。
もっとも、小売店の接客用語の形式的な合唱朝礼みたいなものは、また、それはそれで笑える。しかし、その結果、形式的にいらっしゃいませ、とか店員さんはいうからね。

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